2018年06月13日

奈良国立博物館で繍仏

繍仏P Vol1.JPG



奈良国立博物館
糸のみほとけ  平成30年7月14日(土)〜8月26日(日)
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/2018toku/ito/ito_index.html
で、
出品リストが公開されました
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/2018toku/ito/ito_press_list.pdf

私が期待していた、繍仏が何点がでているようです。イメージの大和文華館の繍仏(リストのNo.27)も出品されるようです。これは1951年公開写真(REF2)なので、著作権は消滅してます。

  刺繍で表現した仏画のほうが、絵の具で表現した仏画よりも高価であり尊重されただろうという推測を
瓜茄一号 (REF1)で読んだときに、なるほどそれはもっともだと思った。刺繍のほうが材料人件費とも高価につくし、また保存性もよいし、色落ちもしにくく取り扱いも簡単だ。絵画の絵が糸へんであるということから、本来は、絵画の彩色は刺繍でやるものではなかったかと、瓜茄の奥村氏は論じている。これはたぶん後漢の許愼が書いた説文解字の「絵」の解説に「会五彩繍也」としてあることから発想したのだろう。

刺繍が工芸で、絵画が芸術だというような差別的ランク付け的なものがなかった時代には、同じ大きさの仏画なら刺繍やタペストリーのほうが高価であっただろう。また、古文献によると、巨大なタペストリーや刺繍の仏画が奈良時代の大寺院には多かったようだ(Ref3)。そして、そういう巨大な刺繍タペスリー絵画を支持して支える堂内の構造物・家具は、当麻寺の当麻曼荼羅厨子のような巨大なものであったに違いない。

 また、少し離れたところから、しかも暗い堂内で拝観するということを考えると、どうして、現存する優れた仏画があれほど芸術品でありえていることがむしろ不思議になる。もっと粗雑で派手であってもわかりはしないだろうに。。特に大きな仏画を遠くからみるのでであればなおさら精粗の差 技量の差がめだたなくなるだろう。法隆寺金堂で復元壁画を拝観したとき、なるほどこういう空間照明環境では、大きくないとみえないしなあ、本物でも模写でも区別はつかない、と感じたものだ。 また、この大きな壁画の芸術的がわかったラングトン・ウオーナーなどの故人たちは相当センスがよかったとおもいたくなる。

REF1. 奥村伊久良氏の個人雑誌「瓜茄」1号(1935年 5月)
REF2. 大和文華、第1号 1951年1月、大和文華館、奈良
REF3. 野間清六、文献上よりみたる奈良時代の仏画、仏教芸術、NO.9、1950年10月、仏教芸術学会編集、毎日新聞社発行、大阪

 
posted by 山科玲児 at 08:46| Comment(0) | 2018年日記
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