2018年06月17日

法隆寺宝物と正倉院宝物の取り違え


古い活字文献をデジタル化するとき、スキャナーや文字認識装置も活躍するだろうが、
結局、手入力になることも多いだろう。それはしょうがないとしても、
同じ文献を違った人間が何度もデジタル化したり転記したりするのは、どう考えても無駄におもえる。
そういう意味で、デジタル化された文献はできるだけ公開して欲しい。無料でとはいわないから、販売してもいいので、お願いしたい。

そうはいっても、最近、自分が9年前、古い雑誌から引用のために入力した文章を、最近、また同じ雑誌から同じものを文字入力していたのには、自分ながら呆れてしまった。9年前入力したのは、このブログで、引用した石田茂作氏の記録である。
2009.02.22 
取り違えた宝物 

この取り違え問題は、よほど気になっていたらしく、同じ雑誌から、また入力してしまったのは時間の無駄もはなはだしい 。。

自分自身を自戒するところであるが、この取り違え問題は役所のなわばり問題もあり、さわらないほうがいい問題になっているのか、さっぱり議論されていないものである。 NHKはこういうことこそ、やらないのかな? 

実際、新発見の木簡の包み紙の件で、正倉院がからんだりしているのであるから、知らないとなにがなんだかわからないし、実害もありそうだ。。


一応、再度挙げておく。
******* 記 ******
 法隆寺献納宝物の由来 / 石田茂作 / p4〜7
MUSEUM、第282号、昭和49年9月号、no.282,september,1974


7p 注3

法隆寺献納宝物の一部だと思われるものが正倉院にもある。それは前にも一寸触れた天寿国曼陀羅繍帳の数種の断片である。これは明治初めに法隆寺宝物の献納が御裁可になり、当分の間正倉院宝庫に納められ、明治十五年東京移送のおり、法隆寺宝物の1櫃と正倉院宝物の1櫃とがとり違えて運ばれたものだと思われる。よってそうした一括を法隆寺宝物館に移納すると同時に、東博の、所属不明の正倉院幡類を正倉院に移納し、両□(脱字「者」??)の純粋性を確保されたら如何。



以上


posted by 山科玲児 at 09:29| Comment(0) | 2018年日記
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