2018年06月20日

エラリー・クイーンの住所

エラリー・クイーン小百科.JPG


エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイFrederic Dannay (1905ー1982)とマンフレッド・リー Manfred B. Lee (1905ー1971))のWikipedia記述があまりおかしいので、訂正補筆しました。
エラリー・クイーンについては、うるさいお歴々が昔から多いので、あまりやりたくなかったのですが、やむをえません。しかし、どうしてこんな明白な誤謬が放置されていたのか逆に不思議です。また、これをもとに考えたり書いたりする人がでる危険もありますでしょうから、しょうがないので最小限の訂正をしました。

旧ヴァージョン>なお共作の手法は、まずプロットとトリックをロサンジェルスに住むダネイが考案し、それをニューヨークに住むリーに電話で伝え、2人で議論を重ねたあとリーが執筆した。

なんてのが、書いてあって、、
ほんまかなあ、電話なんかで伝えられるの? アメリカの東と西に分かれていて共作なんかできるのかな? と思ってたら、
全く、間違いでした。

まず ダネイはロサンジェルスに長く住んでたことがない。ニューヨーク近郊です。1947−1951年のころに、ロサンジェルス近郊に住んでたのはリー のほうです。 しかもリーは1951年に東海岸に戻っています。 日本でよく知られている初期の国名シリーズや、XYZの悲劇、を書いたころは住所は2人ともニューヨーク、米国内で広く講演旅行をしてますが、基本的には2人連れです。

嘘じゃないの。。これ。

2人がハリウッドに出張していたことはあります。また講演旅行や出張、長期滞在で、ダネイがロスにリーがニューヨークにいるという状態になるということはあったかもしれないが、それは一時的なことなので、こういう記述はおかしいでしょう。
REF:: フランシス・M・ネヴィンズ著, エラリー・クイーン 推理の芸術 , 飯城勇三(訳)、 国書刊行会 , 2013  第1章、第7章、第14章、第18章冒頭

 ダネイが、昨日述べたオースティンのテキサス大学へ蔵書を売却したのは、1959年ごろのようです。ということは50歳ごろなんで、コレクションの行き先を決めたのは意外に早かったんだな、、と思いました。 どうも、これは別の事情、例えば資金造りの意図など、、があったのかもしれない。。とも邪推してます。
REF:: フランシス・M・ネヴィンズ著, エラリー・クイーン 推理の芸術 , 飯城勇三(訳)、 国書刊行会 , 2013  第19章冒頭


イメージは1979年9月に早川書房が出した小さなパンフレット エラリー・クイーン小百科の表紙で2人の写真がのってますので、あげてみました。

posted by 山科玲児 at 06:08| Comment(0) | 日記
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