2018年07月16日

冷やし中華の源流

燕京郷土記 ss.JPG

冷やし中華は、だれが考案したんだろうと思ったら
東京神田神保町、お茶の水よりの揚子江飯店、と仙台の龍亭だそうです。

冷やし中華はやっぱり「日本料理」だった|食の安全|JBpress

冷やし中華発祥の地!仙台で元祖冷やし中華を食べてみた。

揚子江飯店、は、1,2度食べたことはありますが極普通の中華屋で、あまり個性がなかったなあ。
ただ、冷やし中華は食べたことはなかった。

そうか、だから長崎にはなかったんだな。東日本から拡がったものだし。長崎はむかしから福建の料理人が多かったから、麻婆豆腐もありませんでした。

ところで、漠然とした原形みたいなものが、大陸にありそうな気がします。それも広東や上海や福建ではなく、北京です。

トウ雲卿、燕京郷土記  上海文化出版社 1986 (イメージ) の中に、冷やし中華の部品が2つ読み取れます。これは日本語訳本(北京風土記  波多野太郎 翻訳 図書出版、平成4年)は、抄訳で抜粋したものです。省かれた部分に書いてあるので、訳本にはないから、原書読まないとだめ。この原書は、1986年版ですが、1998年に増補版 上下册が中華書局から出てます。が,こっちは読んでないしもってないからわかりません。まあ、増補なんだから1986年版の内容は入っていると思います。

その1 、具の部分は、どうも北京の旧正月ででる「春盆」の中身に近い気がします。
「胡瓜、もやし、緑豆もやし、大根、焼き豚、金糸卵、蒸し鶏、など」を千切り、糸切りにしてもりつけるんですね。

その2 麺も、北京の夏、ゴマたれで食べる冷麺がありました。 緑豆もやしぐらいをいれるみたいですから、あまり具がないものですけど。

この2つが合体すると 冷やし中華になるんですね。

醤油味の冷麺は四川料理だそうだけど、北京には四川料理店がむちゃくちゃ多かったように思います。


posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(0) | 2018年日記
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