初期ネーデルランド絵画の本を覗くと、たまに、
このフレマールという名前の由来について、、
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フランクフルトの3枚(イメージ)が、リエージュ近郊のフレマールの修道院に由来すると口承されていたことから、フレマールの画家 と仮称されていた (実はそのような修道院は存在していなかった!)
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このフレマールという名前の由来について、、
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フランクフルトの3枚(イメージ)が、リエージュ近郊のフレマールの修道院に由来すると口承されていたことから、フレマールの画家 と仮称されていた (実はそのような修道院は存在していなかった!)
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Source: 週刊朝日百科 世界の美術 49,1979年3月4日
と、得意そうに書いていることがあります。
これは、どうも、
Martin Davies, Rogier van der Weyden, 1972,London
に書いてあるとこらから出たんじゃないかなあ、、と思っているんですが、
Martin Davies, Rogier van der Weyden, 1972,London
に書いてあるとこらから出たんじゃないかなあ、、と思っているんですが、
偉い先生の本だからといって軽信して 得意になるのは、考え物かもしれません。
というのも、ベルギーのご当地の人は別の伝承を伝えているからです。Jacques Lassaigne, の記述を紹介してみますね。
>1849年、アーヘンで購入されたこの3枚は、リエージュ近郊のフレマール城(シャトー・フレマール)由来のものという伝承をもっていた。その後、誤解の結果「フレマール修道院」由来ということになってしまった。ところがそういう修道院は存在していなかった。一方、フレマールには「エルサレムの聖ヨハネ騎士団(いわゆるマルタ騎士団)」の病院兼教会施設があったのは事実である。
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Source: LASSAIGNE, Jacques. Flemish Painting: The Century of Van Eyck.
Published by Skira, Geneva, 1957
Published by Skira, Geneva, 1957
つまり勝手に誤解して修道院といい、誤解から出た架空の「フレマール修道院 Abbey Flemalle」が存在しなかったことがわかると、根も葉もない伝承だと非難したわけです。
研究史というのは、いろんな誤りはあるのだから、慎重にとりあつかいたいものです。
ちなみに聖ヨハネ騎士団の施設というのは、修道騎士だから修道院といえないわけでもないし、病院でもあり、また軍事施設でもあるから城でもある。ちょっと分類しにくいものですから、誤解が生じやすかったのかもしれません。
フランクフルト 市立 美術館のサイト