2018年08月18日

キュレネのヴィーナスの行方

Vinus Cyrene.JPG

ARTGALLERY アートギャラリー テーマで見る世界の名画 全 10巻 - 集英社
https://www.shueisha.co.jp/artgallery/
第1巻 ヴィーナス
https://www.shueisha.co.jp/artgallery/vol01.html
 を借りてきて読み直していたとき、

故 澁澤龍彦氏が芸術新潮に書いたエッセイ を思い出しました。
ヴィーナス--処女にして娼婦(古代美術館-14-) : 芸術新潮1975年11月号
 澁澤龍彦氏は、ギリシャ・ローマ彫刻のヴィーナスでは、「キュレネのヴィーナス」を最も高く評価していたようです。

 この号には、長く芸術新潮 専属  写真家であった 野中昭夫氏が素晴らしい写真(イメージ)を撮影し、掲載しています。
 これは、キュレネのヴィーナスの写真の中でも、最も美しいものではないかと思います。
 ローマのサイトが掲載している画像
Venus (Aphrodite) of Cyrene
http://penelope.uchicago.edu/~grout/encyclopaedia_romana/miscellanea/museums/venuscyrene.html
と比べてもずっと素晴らしいものです。彫刻の写真は写真家によってそうとう差がでることを実感するところです。
 著作権の問題でクレームがあればすぐ削除しますが、ここで危険を顧みず、縮小したイメージをあえて掲載した理由は、 このキュレネのヴィーナスが、今どうなっているか、破壊されていないか、心配な状況だからです。。
 実は、この彫刻、2008年にイタリア政府からリビアに返還されております。そして今はリビアは無政府状態であり、一時はISの根拠地、訓練基地になっておりました。いまでもイスラム原理主義的武装勢力の巣、欧州へ移民を輸出する人身売買ビジネスの拠点の一つになっております。

 ISがパルミラ遺跡を破壊し、ニムロドの遺跡も破壊し、彫像破壊を欲しいままにしていたことは周知の通りです。このようなヴィーナス像なんか一番危ないのではないか?と思います。
2010年にキュレネを旅行した人の記録では平和に彫像を観賞できたみたいですけどね、ただ、これは返還品だから、首都トリポリの美術館にあったのかもしれませんが、このブログでは記録されてはいないようですね。
https://blogs.yahoo.co.jp/k4216503/68127000.html
 このブログ主が旅行したころや、イタリアが返還した時点では、カダフィ大佐が賢明な独裁をやっていたのですが、2011年に、わけのわからない勢力の援助で革命が起きて、イスラム原理主義勢力中心のムチャクチャな政治状態になっております。
  キュレネは、もともと北アフリカのギリシャ・ローマ都市 キューレーナイカであって、今は絶滅した貴重な香草・医薬であったキューレーナイカのシルフィウムの産地として有名な町だったのです。 また、「アフリカのアテネ」とさえ言われた学術の町でもありました。イタリアが1912年ごろ植民地支配したころに、このキュレネのヴィーナスが発見され、ローマにもっていかれました。テルメニ駅の近くディオクレティアヌス帝の浴場跡のテルメ博物館に長く展示されておりました。

  2008年の返還
は、リーマンショック後PIIGSと呼ばれて苦しむイタリアとその前の原油価格高騰で潤うリビアを背景にした、善意とリベラリズムによるものだったんでしょうが、完全に裏目に出ました。
 ルーブルがミロのヴィーナスを絶対返却しないのは、正しいと再認識した次第です。
posted by 山科玲児 at 07:15| Comment(0) | 2018年日記
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