2018年09月25日

仏頭観賞は日本的ではない

Chinese Scuptures CTLoo sss.jpg


最近のサザビーズのオークションで
龍門石窟から盗難の疑いある仏頭彫刻が米国でオークション出品、競売前に取り消し―中国メディア
レコードチャイナ
https://www.recordchina.co.jp/b645111-s10-c30-d0046.html
というニュースがありました。
これは、ニューヨークでの、
Junkunc: Chinese Buddhist Sculpture
 12 September 2018 | 10:00 AM EDT | New York
であろうと思います。
参考資料
The Untold Story of Stephen Junkunc III, One of the Great Chinese Art Collectors
https://www.sothebys.com/en/articles/the-untold-story-of-stephen-junkunc-iii-one-of-the-great-chinese-art-collectors

イメージは、1940年、C.T.Looのニューヨークでの展示販売目録写真で、この石仏とは直接関係ありませんが、石仏仏頭の例としてあげました。

サザビーズのオークションにでる予定だったものは、もともと1955年にパリの通運公司のオークションに出たもので、シカゴの Junkunc氏が購入したものだそうです。この、通運公司は国民党の幹部・パトロンだった張静江が設立したものです。なんかなあ、中国人しか関係してないですねえ。

  こういう石仏の首を観るたびに思うのは、日本的鑑賞対象ではない、ということです。奈良の仏像で破壊などで首だけになったものは、興福寺の仏頭のように堂の下に埋蔵され隠されたり、秋篠寺の伎芸天のように丁寧に胴・四肢が補作されたりしています。首だけで展示するというのは日本人のセンス・伝統ではない。

私が2000年3月に書いた短文を補筆して、下に書くことにします。

石仏の首を鑑賞するのは、東洋の趣味ではなく西洋のギリシャローマ彫刻愛好の模倣ではないでしょうか?
中国の古美術として、図版のような石仏の頭がしばしば美術館に展示されています。石窟寺院の高浮き彫りや丸彫仏像から、無理に切りとってきたものが多いので、素直に鑑賞できかねます。自然崩壊でできた断片もあるでしょうが少数でしょう。天龍山、龍門などの写真に首なしの仏像の列、えぐりとられた痕跡をみると、どうせ盗むなら全部盗めといいたくなります。
これらを商人として売買して、破壊に荷担したC.T.Looでさえ、思うところがあったらしく、ref.の序文に書いてます。「このカタログを造るにあたり、中国彫刻の収集はもう終わりであり、最後のカタログだと感じている。不幸にして、中国の都市に近い仏教遺跡は破壊され断片は盗られてしまったことを記さねばならない。偶然にこの商売に入った私もたぶん荷担していた。.....400年間にわたる美術が、わずか40年間の不幸な状況のために、有名な仏教聖地が破壊され尽くしたのである。私はこのような国の宝物が破壊される原因をつくった一人であることを恥じる。言い訳できることは、公開の市場で他の商人から買ったということだけだ。」(抄出・拙訳)

 私が不思議に思うのは、石の仏像の頭部だけを鑑賞するような習慣が日本や中国にあったのだろうか?ということです。長物志・骨董些記などの伝統的な鑑賞書にはでてきません。玩古図などの伝統的な骨董鑑賞風景にもでてきません。なかったのではないでしょうか?一方、西洋にはありました。ギリシャ・ローマ彫刻の断片を居間や庭園に飾る鑑賞方法です。また、胸像という形式もありました。狩猟の獲物の首の剥製をトロフィーといって居間に飾るという習慣もあります。
 この習慣・鑑賞法を中国古美術観賞に、持ち込んだのではないか?と推測しています。つまり大正昭和時代の財閥の人々や学者たちが、西洋かぶれ、鹿鳴館趣味を発揮したのが、この仏頭収集ではなかったか、と考えております。

ref. C.T.Loo, An Exhibition of Chinese Stone Sculptures, 1940, New York

posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(0) | 2018年日記
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