最近、米友仁に関する論文を再度読んでいて、
東洋文化研究所紀要 の切り抜きを本棚から取り出してきて、あることに気がついた。
文化大革命礼賛のプロパガンタ論文、しかも100P以上の長文がずううと掲載されてきていたのだ。
文化大革命礼賛のプロパガンタ論文、しかも100P以上の長文がずううと掲載されてきていたのだ。
目次 一覧が公開されてますから、わかります
文革礼賛学者として有名な菅沼 正久氏の論文であるが、そもそもなんで掲載し続けてきたんだろう。
他に、良い論文はなかったのだろうか?
他に、良い論文はなかったのだろうか?
ときには、雑誌の1/3ぐらいがこのプロパガンタ論文なのである。しかも四人組逮捕で文革終了したあとも掲載され続けている。
どうみても編輯責任者に問題があったとしか思えない。
もともと、この雑誌は研究所の紀要で、極めてアカデミックなものである。そのなかにコレですよ。
お膝元の北京で出ていた「文物」だって、これほど継続的におおきくプロパガンタ記事がまぎれこむことはなかったと思う。例外は、「文物」刊行中断直前の号だけだ。
その「文物」1966年5期のイメージをここにしめしておく。http://reijiyamashina.sblo.jp/article/175879117.html
第79冊(1979年3月)
大寨生産大隊の30年(下) 菅沼, 正久
大寨生産大隊の30年(下) 菅沼, 正久
第73冊(1977年3月)
大寨生産大隊の30年(中) 菅沼, 正久
大寨生産大隊の30年(中) 菅沼, 正久
第65冊(1975年2月)
大寨生産大隊の30年(上) 菅沼, 正久
第61冊(1973年3月)
プロレタリア教育革命参観記(下) 菅沼, 正久
大寨生産大隊の30年(上) 菅沼, 正久
第61冊(1973年3月)
プロレタリア教育革命参観記(下) 菅沼, 正久
第57冊(1972年3月)
プロレタリア教育革命参観記 菅沼, 正久
プロレタリア教育革命参観記 菅沼, 正久
第47冊(1969年2月)
社會主義社會の過渡的性格 : プロレタリア文化大革命論序説〔承前〕 菅沼, 正久
社會主義社會の過渡的性格 : プロレタリア文化大革命論序説〔承前〕 菅沼, 正久
第45冊(1968年3月)
社會主義社會の過渡的性格 : プロレタリア文化大革命論序説 菅沼, 正久
社會主義社會の過渡的性格 : プロレタリア文化大革命論序説 菅沼, 正久