2018年11月30日

インドシナのフランス人

Khmer 東博.JPG

 ゴーンやルノーのせいで日本でのフランスの印象が悪くなってますし、 日本がフランスと戦ってフランス植民地だったヴェトナムやカンボジアを占領独立させたので、フランス人が恨んでいるようなことを言う人がいます、しかし日本正規軍とフランスは数日しか戦っていないようですね。それが、

20181118日 日本はフランスと戦争したのか?

 で、とりあげた、ヤルタ会談の後、ドイツが敗北寸前になったころの、昭和20194539日−12日の

明号作戦

です。
  ハノイを中心とした駐在フランス軍は、ヴィシー政権に忠実だったので、実は枢軸側だったんですね。それで日本軍とも協調していたし、ヴェトナム駐留のフランス軍やフランス人は友軍あつかいで、従来どおりのフランス人統治を許していた。間接占領だったようです。
  だからこそ、ハノイのフランス極東学院との文物交換事業などもやってました(イメージのクメールの彫像はそのときの交換品  東京国立博物館)。藤田嗣治も文化交流事業でヴェトナムへ行ったりしていました。
 軋轢・干渉は当然あったでしょうが、インドネシアみたいに負けたオランダ人を収容所にいれて、刑務所の政治犯だる独立運動家たちを解放して独立運動させるということはやっていないようです。1943年の大東亜会議にもヴェトナム代表はいません。 フランス ヴィシー政府は枢軸国だからヴェトナム人民には我慢しろということになったのかな。

 まあ、対独協力者フランス人が第二次大戦後、いろいろ酷い目にあったりしたので、当時のハノイのフランス人たちもできるだけかくすようにしたんだろうね。あるいは日本と戦ったということにしたのかもしれません。 シャネルみたいに、うまく立ち回った人もいましたが、殺されたり、さらし者にされたり、裁判にかけられたりしましたからね。

   ノルマンディー作戦成功以後、ヴェトナム駐在フランス軍がドゴール側、連合国側につきましたので、駐在日本軍と戦争になってしまったのでしょうね。まあ、駐在日本軍としては「裏切られた」というおもいになったのは無理もない。
  ヴェトナム駐在日本軍のなかで、ヴェトナム独立支援をやった人は、いたようですが、表だってはやれなかったでしょう。敗戦間際以降、ヴェトナムに残ってヴェトミンの支援をした日本軍兵士は700人以上いたようです。


posted by 山科玲児 at 09:33| Comment(0) | 2018年日記
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