2018年12月01日

ピカソのパトロン


  ナチスドイツ軍占領下のパリで、レストラン「カタラン」で、毎日シャトーブリアン ステーキ食べて怪気炎をあげてた画家パブロ・ピカソ。その一方、1929年ごろから左派活動していたアンドレ・ブルトンは、1939年に貨物船のような船でマルチニック島へ脱出していた(ニューヨーク亡命への経由地)。その話はユダヤ系だったからか同じ船に乗り合わせたクロード・レヴィ=ストロースが書いている(悲しき熱帯  第2章  乗船)。
 戦前に共産党系のスペイン人民政府の委嘱を受けて「ゲルニカ」を描いていた画家ピカソが、ナチス時代にも快適に暮らし、パリ解放直後に、フランス共産党に入党した。
  どうもね、いったいピカソのパトロンって、どういう人間・どういう組織だったのだろう。
共産党とナチス党、両方に顔が利く実力者だったとしかおもえないんですが。たまに、ナチス没収の「ピカソ絵画」の発見というのがあるけれど、本当に「頽廃芸術」だとみなしていたら、焼却していたか、金にするために「国外の馬鹿な連中」へ売り払っていたとおもう。
  このへんが、ピカソ嫌いになる所以なんだよなあ。

タグ:ピカソ
posted by 山科玲児 at 06:55| Comment(0) | 2018年日記
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