2019年01月04日

五馬図巻が行方不明になった理由

玉堂 凍雲.jpg


五馬図巻は、日米戦争中の空襲で焼失したという説が強かったのですが、今回、実物が出現したため、幸い現存していたようです。そもそも、GHQ支配前後には、「空襲で焼けた」と所蔵者自身が吹聴した例が相当多かったらしいのです。
例えば、
浦上玉堂 凍雲篩雪図(国宝) イメージ
の場合も、  ハリー・G.C. パッカード氏 川端康成氏が所蔵家?のもとを訪ねたとき、そう言われたそうです。

これは、芸術新潮連載の日本美術蒐集記にあったと思ったが、単行本ではみつけていない。あるいは削除されたのだろうか?

なぜ、このようなことになるかというと、

  なんせ、富豪なら80%、90%の財産を没収されるというんですから、高い骨董品なんかすべて隠してしまい、空襲で焼けた、あの空襲された蔵にあった、とかすっとぼけないといけません。益田家のように隠せなかったところは、散々にやられました。GHQの指示なんでしょうが、これを読むとき、当時の大蔵官僚(現  財務省官僚)の 悪辣さには憎悪を禁じえません。
 こういうのは、ゴーンの例でもありましたが7年ぐらいが時効でしょうから、7年以上は隠しおおせないと税務署があとから突っ込みますからね。そうなると、当事者が亡くなったりしてわけがわからなくなると思います。
 もうひとつ、中国絵画は1990年ぐらいまでは、日本美術、西洋美術に比べて安かったということがあると思います。安いと、あえて売りたくないという感じになりますしね。

posted by 山科玲児 at 08:36| Comment(0) | 日記
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