座右の書である徒然草(新潮日本古典集成)で著者 兼好の伝記を読んでいたら、妙に、神奈川の金沢文庫との関係が深いことがわかった。少なくとも、かなり長く金沢文庫に住んでいたらしい。
最近の研究なので、まだ固まった話ではないようだが、占部家の系図が偽造だという説があり、占部家とも吉田家とも関係なく、北条の家臣ではないか??という話すらある。
平成26年4月24日(木)〜6月22日(日) 特別展「徒然草と兼好法師」 で、ある学者が公開した説だそうだ。
このとき公開された新説についてはURLのブログに詳しい。
徒然草と兼好法師 @金沢文庫 Art & Bell by Tora
https://cardiac.exblog.jp/22622601/
とすると、、もと侍だった西行法師が歌人・書家として高名になったという例に近いのかもしれない。ただ、若年のころ1305年以前ぐらいからの京都の久我家との深い関係があるような記述が「徒然草」の中にあるので、果たして正しいのかどうかわからない。まだ議論中といえるだろう。
ただ、金沢文庫と深い関係があった、ということから、
第百二十段、唐のものは、、、で 中国の書物は日本にたくさんきているので写本すればよい、、という記述は、金澤文庫にあった多量の宋元版を前提にして言っているんだなあ、と実感したものだった。
第百二十段、唐のものは、、、で 中国の書物は日本にたくさんきているので写本すればよい、、という記述は、金澤文庫にあった多量の宋元版を前提にして言っているんだなあ、と実感したものだった。
イメージは明26年初版、続史籍集覧 金沢文庫考・足利文庫考,の表紙