2019年02月27日

ヤポンセ・ロック

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 フェルメールの「天文学者」「地理学者」(イメージ)がはおっている丹前みたいなガウンは、ヤポンセ・ロックというもので、日本の和服の影響を受けたものらしい。


「オランダ紳士たちの優雅なガウン ―ヤポンセ・ロックと呼ばれた衣裳 (深谷訓子)

に書いてあった。

 この論文では、長崎から輸出した「絹のガウン」の少なさ(1642年で36枚、1708年で50枚)を不審がっているが、それはおかしい。絹は中国 広州のほうが安いということもあるかもしれないが、原因はもっと別のところにあるのでは? 
  絹は熱帯であるインド洋の高温多湿状態に耐えるには、よほど頑丈な密閉梱包でないと無理だったようである。カビと虫だらけ・痛み放題になったはずである。昭和24年ごろの学者の対談で、「日本から絹糸を輸出するとき、インド洋でカビだらけになったので、密閉梱包をしないとダメ」という話があった。木綿はわりと大丈夫だそうである。絹は熱帯では傷みやすいらしい。タンパク質だからかな。シルクロードが砂漠の道なのは、そのためだと考えている。大量輸送なら海のほうが有利であろうに、長い間、絹が砂漠の陸路輸送だったのはそのためだろう。
  その上、オランダ人と日本人の身体のサイズの違いなどから、東インド会社では、仕立て直しや特注が必要だっただろう。市販のものを買ってすますわけにはいかない。だから、最初はともかく、その後はイタリアやフランスの絹や生地でつくったのではないだろうか、とも思う。
  和服の実物が直接 モネなどの絵にでるようになったのは、蒸汽船で航海日数が少なくなり、より安全にはこべるようになった19世紀からなのは、偶然ではないのかもしれないなあ


posted by 山科玲児 at 08:14| Comment(0) | 日記
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