来年のロンドン・ナショナルギャラリー展
https://artexhibition.jp/london2020/
で
カルロ・クリヴェッリ
《聖エミディウスを伴う受胎告知》(イメージ 207 x 146.7 cm)
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/carlo-crivelli-the-annunciation-with-saint-emidius
が展示されるというので喜んでいます。10年ほど前に実見。 NGのクリヴェッリでは一番の作品でしょう。モンテフィオーレの1パネルであるピエタが甲乙付けがたいんですが、大きくてしかも質が良いという点でこっちが1位かな。。
ただ、画像のキャプションに「キャンバス」とあったのがどうも不審でした。クリヴェリの作品は殆ど木材の板に描いてあるものです。例外はあるかもしれませんが、観たことがない。。まさか別の模写本か??と疑ってしまいます。
ライトボーン本(ref1)の短い解説(図版キャプションにあるだけだもんな、この本はテクニカルデータ軽視すぎです)、NGの英文サイト、を読んだら、もともとは木材パネル絵だったのをキャンバスに移し替えしたもの、だということでした。どの時代、どの場所でやったのかはわかりませんが、まあ納得です。Rizzoli のカタログレゾネ(ref2)では板パネルになってたんだけどなあ?? 間違いなのか、1970年ごろ以降にやったのかの、どちらかだと思います。
この大画面パネルの移動・輸送は危険ではないか?と危惧したのですが、実はキャンバスに移し替えしてるからできるみたいです。アスコリ・ピチェーノにも一度里帰りしているらしく、大きなポスターがアスコリの絵画館近くに貼ってありました。
ライトボーン本(ref1)の短い解説(図版キャプションにあるだけだもんな、この本はテクニカルデータ軽視すぎです)、NGの英文サイト、を読んだら、もともとは木材パネル絵だったのをキャンバスに移し替えしたもの、だということでした。どの時代、どの場所でやったのかはわかりませんが、まあ納得です。Rizzoli のカタログレゾネ(ref2)では板パネルになってたんだけどなあ?? 間違いなのか、1970年ごろ以降にやったのかの、どちらかだと思います。
この大画面パネルの移動・輸送は危険ではないか?と危惧したのですが、実はキャンバスに移し替えしてるからできるみたいです。アスコリ・ピチェーノにも一度里帰りしているらしく、大きなポスターがアスコリの絵画館近くに貼ってありました。
キャンバスへの移し替えは、そういう点では有利なんですが、問題もあります。年輪年代測定ができなくなってしまいますし、基底材の特徴から知ることの出来る情報がなくなってしまいます。画の表面の肌合いも変わってしまうことがあるようです。また、最悪の失敗をすると絵が崩壊してしまうこともあるようです(ref3)。
ワシントンのナショナルギャラリーにあるファンアイクの受胎告知は、19世紀にロシアでキャンバスに移し替えしたものですが、なにかと表面の変化などなど、、そういうことがいわれております。ただ、下記サイトの拡大写真ではそう欠点が目立たないようでなによりですね。
Jan van Eyck The Annunciation
c. 1434/1436https://www.nga.gov/collection/art-object-page.46.html
イタリア絵画の場合は、ポプラが主な材木なんで未だ年輪年代測定ができないのですが、研究が進めばできるかもしれませんし、無闇に基底材を捨ててしまうのは感心できません。最近は、こういう大胆なキャンバスへの移し替えは避けるようですね。
ref1. Ronald Lightbown. Carlo Crivelli. New Haven, 2004,
ref2. BOVERO A., L'OPERA COMPLETA DEL CRIVELLI. Editore: Rizzoli Milano 1974
ref3, クヌース・ニコラウス,黒田夫妻訳,絵画鑑識事典2nd ed., 1990, 美術出版社
キャンバスに移されたのは1881年ミラノのBreraでだそうです。詳細は方法は記載されていませんが、状態が非常に悪かったそうで、「表面をキャンパスに移したというよりも、支持体の木を替えたという方が的確だと」Pietro Zampettiの本に書いて有りました。
>
コメントと貴重な情報ありがとうございました。
ちょっと不審なのが、ロンドンナショナルギャラリーが獲得したのが
1864年であり、
Acquisition credit Presented by Lord Taunton, 1864
17年後に、あの大きな絵をミラノに運んで修理した?ということになることです。あるいは、Lord Tauntonはイタリアにいて、寄贈ののちもイタリアにおきっぱなしというような事情があったのかも?ちょっとわかりません。
大画面の移し替えというと、ボローニャのピナコテーカにあるラファエロの聖チェチリーアをフランスで移し替えた例が有名のようです。
>ようやく時間が出来たので、調べてみました。
>キャンバスに移されたのは1881年ミラノのBreraでだそうです。詳細は方法は記載されていませんが、状態が非常に悪かったそうで、「表面をキャンパスに移したというよりも、支持体の木を替えたという方が的確だと」Pietro Zampettiの本に書いて有りました。
ちゃんと読んだら、この作品の価値に気がつかなかった(もしや気がついていたけれど、なのか?)Breraの責任者たちに5枚の他の作品と交換され、日本美術同様作品が国外に出てしまったことを知りました。益々日本での再会が楽しみです。
>fontanaさん
>
再検討、ありがとうございました。ロンドンで1881年に移し替えと修理をやった。。と解釈できるようですね。
ところで、ベルリンの「マンテーニャとベッリーニ特別展」のサイトにゲームがあるようです。
https://www.mantegnabellini.de/en/
ゲームやってみました。1はパーフェクトでしたが、2,3は…
マンテーニャもベッリーニも好きな画家ですが、マンテーニャは2006年のルーブルで、ベッリーニは結構見たので、ベルリンに行くことはなさそうです。
その代わり、Montefiore d'asoには行けることになりましたので、またご報告させていただきます。(無事作品を見られると良いのですが…)