2019年04月01日

Wikipedia 快楽の園の問題

ヒエロニムス・ボッス快楽の園 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%AB%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%9C%92
の後世への影響Legacyのところは、あまりにひどいので、ちょっと一言。


 ブリューゲルが快楽の園を観た機会はないのではないかと思います。この絵は、当時はウィレム1世の宮殿にあって、賓客以外はみることもできなかったはず。あのアルヴァ公爵がグレンヴィル枢機卿のところにある快楽の園 中央画面を模写したタペストリーをコピーさせてほしいと所望した、という手紙の記録が残っておりますので、アルヴァ公爵ですら少なくとも借りるということはできなかったし、よく観たことはなかったのではないか?
  先代のヘンドリック3世のとき宮殿を訪ねたデューラーは、当時有名人でしたが、それでも観ておりません。
 ブリューゲルが観たとしたら、ブリューゲルのパトロンであったグレンヴィル枢機卿が自宅に飾っていたタペストリーや、16世紀ボス派の部分コピーや模倣作だったと思います。

 ボスの評価は1572年の時点では非常に高かった。だからこそ、ブリューゲルの弔詩に「新しきボス」という形容を当時の一流の人文学者ランプソニウスが使ったのです。一方「快楽の園」という作品自体はブリュッセルのナッサウ伯の宮殿やアルバ公爵の邸宅にあって、多くの人に知られたわけではない。画家の評判と作品の認知・影響力は、別問題だと思います。
  また、アルチンボルトも、当然観ておりませんね。
  ボスの作品で、現在、模写や模倣作が最も多く残っているのは、プラドの三賢王礼拝の中央画面と、リスボンの「聖アントニウスの誘惑」です。

posted by 山科玲児 at 08:14| Comment(0) | 日記
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