2019年04月14日

熟紙と生紙

  昨日、書いた
>生紙に書いたとおもわれるものもないわけではないが、少数派であろう。そういう好みは清後半の何子貞、包世臣あたりからはじまったものではないかと思う

の典拠は、

拙訳で


現在の宣紙は古法ではない。いにしえの紙はすべて熟紙(加工紙)であり、墨は滲んでいない。清朝の嘉慶道光以後、書家の包世臣何紹其などが、軟らかい羊毫筆で生紙に書くということを初め、大流行になった。とうとう生紙でないと使わないという風になった。


Source::  汪度、談箋紙、藝術叢集第11、藝文印書館、台北、1977


ただ、著者:汪度がこれ書いたのは、1950年代ごろだと推定される。

20世紀の書家、とくに漢字書家の人、大家は、ほとんどこの流行に染まっていて「滲み」がなければダメ、「軟らかい羊毫筆」が使えないとダメという思想が深いようにみえる、これを批判すると書家として生きていけないようですね。





posted by 山科玲児 at 03:22| Comment(0) | 日記
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