法書要録に収録されている 武平一 「徐氏法書記」
には、則天武后時代の宮中の王羲之書の収蔵状況の話が書いてある。
そこに梁時代の宮廷の表装をした巻物がかなりあった。それらは、
「章草書多於其側帖以真字楷書」だったという。つまり、梁時代には、あるいはそれ以後かもしれないが、草書の手本に楷書で釈文をつけていたのだ。これは、案外「楷書釈文をつけた」話としては、古い文献かもしれない。勿論、陳隋の智永の千字文は真草なので実物としては「釈文」といえないこともないし、実物証拠として最古といえるから、智永のほうが優先するかな? また、正倉院の献物帳の「眞草千字文203行」も、まあ古い記録だろう。
開元天保あたりの模写本とおもわれる、台北國立故宮博物院収蔵の「唐人 十二月朋友相聞書」(イメージ)
唐人十二月朋友相聞書 冊 (台北國立故宮博物院サイト)
にも小楷釈文がついている。ところがこれは左に釈文をつけるという例外中の例外な書き方をしている。あるいは左利きの人が書いたのかもしれないが、珍しい例である。これについては、
故宮本 十二月朋友相聞書(2011)
後に、台湾の王三慶氏が西域文献学の観点からより詳しい論文を書いているようだ。