大阪市立東洋陶磁美術館の文房四宝展にちなんで、正倉院の墨の写真を出してみます。
これは、東瀛珠光 第四 明治41年12月20日 からとったものなので著作権消滅図版です。
これは、東瀛珠光 第四 明治41年12月20日 からとったものなので著作権消滅図版です。
宮内庁のサイト
解説文を読み直してみて、ちょっと驚いたのは、左端の墨は、昔から「開元4年の唐の墨」として有名だったのですが、実はその「開元云々」は、裏に朱書されているだけであって、ひょっとしたら違うかもしれないということです。
雄山閣 ヴィジュアル書道全集 第十巻、文房具(平成5年)を読むと、発掘された宋時代の墨もまた、多くはこういう形をしていますので、この形は唐から宋時代まではずっと変わらなかったかもしれません。南宋末の墓から、長方形のものが発見されてますから、現在みる墨の形は南宋からというのが妥当かもしれませんね。
また、カラスミがやはりこの形ですね(唐墨)ということでしょうか。
ちなみに、最初の古梅園墨譜にも、これを模倣した墨がありますし、以前、古梅園(だったと思う)が新しく作った「正倉院墨」をみたことがあるので、今でもときには製造している墨のようです。