2019年06月02日

尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず

Braun Memling 1930s ss.jpgcinotti rizzoli bosch ss.jpg




長崎で逼塞していたせいか、

西洋美術の歴史−ルネサンスU−北方の覚醒、自意識と自然表現』(中央公論新社)
http://www.chuko.co.jp/zenshu/2017/04/403595.html

という、学術的な概説書が出ているのを知らなかった。北方ルネサンス・初期ネーデルランド絵画への興味をずっといだいている私としては、新発見や新説の紹介がないかと、さっそく図書館で借りてきた。

  確かに情報量は豊富だ。ただ、当方としては、まずハンス・メムリンクとヒエロニムス・ボスの情報を知りたいと思って読んだら、眼が眩むような戯言・誤りが書いてあって、衝撃を受けた。ちょっと、これはどうしたものか。たぶん他の部分は十分がんばって書いているのだが、著者があまり関心のない部分は書き飛ばしてしまったのではなかろうか。論文集のような性格の本なので、全体編集者の校閲が行き届かなかったのではなかろうか???

まず、驚愕したのは、357p
「メムリンクは、1477年、ブルゴーニュ戦争でのナンシーの戦いに従軍して負傷し、このシント・ヤンス施療院で手当を受け、その後円熟の時代を謳歌したのち、94年8月11日、ブルッヘでその名声に満ちた生涯を閉じた。」

 このナンシーの戦いの下りは、18世紀に出た作り話を19世紀に潤色したもので、1935年ごろに出た本(ref1 左イメージ)ですら「petit roman」と嘲笑している。1922年の本(ref5)では「これらの伝説は現在では意味がない」とばっさり切っている。ひょっとして著者はメムリンクのモノグラフを読んだことがないのだろうか?? まさか19世紀の本しか読んでいない??

 ヒエロニムス・ボスについてはどうか。452pに「イタリア旅行説」を紹介する際に

1504年からは、画家が従来用いていたファン・アーケンに代えて、生地スヘルトーヘンボスにちなんで、それを縮約したボス(Bosch)を雅号として使い始めた。」

  これは、明らかに誤り。1491−1497年の間の制作(1494頃という推定が有力)が確定したプラドの三賢王礼拝 にはちゃんと Jheronimous Bosch というサインが入っているから。
https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/triptych-of-the-adoration-of-the-magi/666788cc-c522-421b-83f0-5ad84b9377f7

しかも、この年代がわかったのが2004年で(ref2), 英語で学会一般に流布されたのが2012年だから(ref3)、2017年刊行のこの本の著者が知らないのはおかしい。

また、455pで、ヴェネチアにある「殉教女性トリプティック」について
「コルシカの聖ジュリア」だと信じ込んでいるが、これについては議論が多く、今はフランドルでも信仰が流布していた聖リベラータこと聖Wilgefortis ( Uncumber,オランダ語でOntkommer)だという説が1967年ごろから有力になった(ref4 イメージ右)。 コルシカの聖ジュリアでないなら、イタリアでしか信仰のない聖人がフランドルで描かれるのはおかしいという議論そのものが崩壊する。これは決定的誤りではないが、一応言及すべきことだろう。


全く「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」(本を批判的に読まないで全部うのみにするのなら、本などないほうがいい)(孟子  尽心篇)と再度実感した。

ref1,  Paul Firens, Memlinc, Braun,Paris, 1935?
ref2  Xavier, Duquenne,  ≪ La famille Scheyfve et Jerome Bosch ≫, L’intermediaire des genealogistes,janvier-fevrier 2004, p. 1-19
ref3  Eric DeBruyn  http://expert.jeroenboschplaza.com/ericdebruyn/duquenne-2004/?lang=en
ref4. Mia Cinotti, Tout L'Ouvre peint de Jerome Bosch, Flammarion, 1967
ref5 Fierens-Gevaert − La peinture à Bruges. Guide historique et critique, G.Van OEST et Cie,  Bruxelles et Paris, 1922

posted by 山科玲児 at 07:20| Comment(0) | 日記
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