2019年07月01日

ポンペイ最後の日は8月24日ではなかったのか?


ポンペイ遺跡で日付の落書き発見、噴火発生日の論争に決着か
2018.10.17 Wed posted at 15:00 JST
https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35127121.html
という話題があるようだ。

   ポンペイの遺跡の発掘で、10月という落書き

書かれているのは「XVI K Nov」という文字で、「11月の16日前」を意味する。現在の日付で10月17日に当たるという。
噴火が起きた時期、当該の家屋では改修作業が行われていた。落書きの書かれた壁には、この後漆喰(しっくい)が塗られる予定だったとみられる。木炭で書かれた文字が長期にわたって消えずに残るのは考えにくいため、落書きは噴火と同じ紀元79年に書かれた可能性が高い。

ちょっとまってよ、
・この年の落書きではない可能性がある。
・いわゆる行書体の書体。普通、ポンペイの落書きはブロック体大文字が多い。
・他にはあまり落書きのない壁に書いてある。普通は落書きは結構密集していたりする。それに白々とした大きな壁の端にあるようにみえるのがなんか不思議、もっともこれは発掘の際の便宜で、落書きが発見されたのでそこで削り取るのを止めただけかもしれない。

 どうもね、こういう「孤立した唯一の考古学的証拠」でワイワイ宣伝し、話題作りをするのは、中国共産党や、マスコミの常である。ちょっと冷静になって、もっと多くの証拠を集めたほうがいいのではないだろうか。
  数百年前から、イタリアでは人騒がせな古代の銘文の偽作が少なくなかったのだから。

  当方は、小プリニウスの書簡集の該当部分を読み返してみた(ref1)が、とくにおかしなところはないようにみえた。

  また、偽作ではないが中国考古学の下記のような例もある。
  1972年 ごろに、馬王堆3号墓からでた老子において、次のようなことがあった。 馬王堆 帛書  老子 乙本の発見時に 旧来の老子(今本48章)にあった字句の細部「無為にして為さざるなし」をさんざん攻撃した文章が1982年の「馬王堆漢墓(ref2)」にある。ところが、更に古い老子竹簡が郭店楚墓からでて、それは旧来の伝世本と同じだった。これで、どうともいえなくなった。2004年の「馬王堆漢墓(ref3)」では削除されている。

ref1. プリニウス書簡集、国原吉之助{編・訳}、講談社学術文庫、1999
ref2.何・張、馬王堆漢墓、1973、文物出版社、北京
ref3. 何、馬王堆漢墓、2004、文物出版社、北京
posted by 山科玲児 at 05:24| Comment(1) | 日記
この記事へのコメント
こちらで取り上げていただきありがとうございます。正直、私も眉唾ものだなぁと思っているのですが…芸術作品の作者の推定もそうですが、この手の話は日常茶飯事に出ては消えを繰り返していますしね。決め手になる新たな発見を待ちたいと思います。
Posted by fontana at 2019年07月01日 14:04
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