2019年07月16日

JBPRESSの宮下規久朗氏記事へのコメント

宣和画譜sennwa_gafu 日本国.jpg


覆される常識、日本美術の「独自性」は縮小していた
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56932
という記事がありました。
(※)本稿は『そのとき、西洋では──時代で比べる日本美術と西洋美術』(宮下規久朗著、小学館)の一部を抜粋・編集したものです。
だそうなので、著者の意図がどこまで反映されているのかはわかりません。編集者次第でどうにでもなるでしょうから。

前も書きましたが、
    2019年07月12日「唐宋美術」は古い
       http://reijiyamashina.sblo.jp/article/186263388.html

追加で気になっている2点を述べてみます。
>12世紀初めの『宣和画譜(せんながふ)』に、徽宗(きそう)皇帝(在位1100〜25年)の所蔵する日本の屏風3点について、「金碧(きんぺき)を多用」しているが、「真」に欠けると批判されている。中国や朝鮮の人々にとって、日本美術は中央様式の地方化したものとしか映らなかったのである。
>

宮下氏は、宣和画譜の原文(イメージ)を読んでいないようですね。原文を味読すると、そういう否定的ニュアンスは感じられません。まして高麗の絵の評価は宣和画譜になく、高麗の文献で日本絵画に言及したものもないのだから、「朝鮮の人々」というのは、誤った記述ではないかと思います。

>明治以前の日本で、海外で活躍した美術家は知られておらず、中国・元で客死した禅僧画家黙庵(もくあん)やマカオに追放されたキリシタン画家ヤコブ丹羽(にわ)の活動がわずかに推測されるくらいである。
>

 この場合、比較するべき西洋の画家は、コンスタンチノープルまでいってメフメット二世の肖像画まで描いたというジェンテーレ・ベッリーニでしょう。中世なら大都市ゴルドバで活躍した西欧出身の芸術家がいるならご教示いただきたいものですね。西ヨーロッパ圏内の移動は、日本でいうと藩をこえた移動よりはハードルが高いかもしれませんが大陸や南洋諸国へいくよりずっとハードルが低いと思います。ヘンデルが仕えた英国王はハーノヴァー公で英語が不自由だったという例を考えれば事情がわかるでしょうに。英仏伊西を移動した芸術家と比較する日本の芸術家をあげるなら、北海道までいった円空を挙げるべきでしょう。それに鎖国期の画家に海外で活躍しろなんて無理をいってもしょうがありません。


posted by 山科玲児 at 04:55| Comment(0) | 日記
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