2019年08月13日

19世紀に中国紙は変わった

本阿弥切.jpg




  中国墨が19世紀末に衰退した件を書いたが、紙にも大きな変化があったようです。
  
   今年、4月に書いたものを、再度まとめてみます。

  香港出版で台北で再刊された藝術叢集第11 に収録されている「説箋」という紙のコレクター汪度氏の文章::、

>最近の紙造りの悪いところがある。それは宣紙を尊重することだ。大きな絵画や書は宣紙を使わざるを得ないが、よくないことである。
  宣紙:宣 安徽省の紙だが、安徽省の紙総てをさしているわけではないのは、次の文章によってわかる。

現在の宣紙は古法ではない。いにしえの紙はすべて熟紙(加工紙)であり、墨は滲んでいない。清朝の嘉慶道光以後、書家の包世臣何紹其などが、軟らかい羊毫筆で生紙に書くということを初め、大流行になった。とうとう生紙でないと使わないという風になった。


著者:汪度がこれ書いたのは、1950年代ごろだと推定される。


 確かに、宋元明の名蹟の紙を観察すると、宣紙、それもにじみの多いものに書いたものは少ない。殆どは加工紙・熟紙である。勿論いわゆる生紙に書いたとおもわれるものもないわけではないが、少数派であろう。 そういう加工紙。装飾紙としては、先年、國立故宮博物院で開催された

     宋代花箋
       https://www.npm.edu.tw/zh-tw/Article.aspx?sNo=04009762

のように、遅くとも北宋時代から盛んに製造され輸出されているようで、平安時代に宋から輸入した日本でも本阿弥切(上右イメージ)などに使っている。

ところが、19世紀に、
>清朝の嘉慶道光以後、書家の包世臣何紹其などが、軟らかい羊毫筆で生紙に書くということを初め、大流行になった。

  張 廉卿(1823年 - 1894年)あたりは、にじみを多用していて、日本人の弟子、宮島衛士もその風を伝えている。

  日本の20世紀の書家、とくに漢字書家の人、大家は、ほとんどこの流行に染まっていて「滲み」がなければダメ、「軟らかい羊毫筆」が使えないとダメという思想が深いようにみえる、仮名を書く書家ですらそういう傾向がいくらかあるくらいである。 これを批判すると書家として生きていけないようだ。

Source::  汪度、談箋紙、藝術叢集第11、藝文印書館、台北、1977





posted by 山科玲児 at 09:34| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]