2019年09月12日

ファン・マンデルとブリューゲル

ファンマンデル.JPG





  ブリューゲルがローマに行ったとき、細密画家ジュリオ クロヴィオGiulio Clovio(1498-1578)のところにいって、共同制作したりしたらしいと、ものの本には書いてある。ところが、上のファン・マンデルの本を読むとブリューゲルの伝記にはクロヴィオのことは何も書いてない。スプランヘルの項目には書いてあるし、フフナーヘルの項目にも、最近クロヴィオが逝去したということが書いてあるのに、どういうことだろう。一応、マレイニセンの本(REf)に引用された英訳もチェックしてみたが、やはり無い。
  ブリューゲルは、本当にジュリオ クロヴィオのところにいったのだろうか?根拠はなにか?と考えてみました。
  マレイニセンの本(REf)によると、どうもジュリオ クロヴィオの財産目録・遺産目録に、ブリューゲルとの共作やブリューゲルの絵があったので、それが証拠になっているんだそうだ。したがってファン・マンデルには関係がない。
以前、
 2017年07月12日
ブリューゲルのローマでの師
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/180318357.html

2017年06月11日
ブリューゲルと細密画【増補】
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/180010721.html

  で、当然のようにジュリオ クロヴィオ訪問を前提にしていたが、一抹の疑念がさしてしまった。

ファン・マンデルのブリューゲル伝は、わりと簡略だし、ヤン・ブリューゲルの記述もほとんどない。いわゆるブリューゲル一族の記述もないのも同様、16世紀のフランドル絵画の巨星はマチエース(マサイス)とブリューゲルくらいという通念とは、ファン・マンデルの常識は違うようである。


Ref
Siedel, Max; Marijnissen, Roger H. Bruegel、Harrison House, New York, 1985
posted by 山科玲児 at 08:15| Comment(0) | 日記
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