2019年10月06日

泰山刻石29字本 続続

環詠亭 ss.jpg



泰山刻石29字本の梁章矩 重刻(下イメージ)があったのが

山東省  泰山のふもと泰山を祭る岱廟の西にあった

環詠亭(上イメージ写真) である。
ここについては、中華人民共和国の一部のサイトは、1928年国民党北伐で破壊されたと書いているが、嘘か間違いである。

なぜなら、1940年の紀行文にちゃんと書いてあり写真まであるからだ。

中華人民共和国時代、たぶん文化大革命中に破壊したことを隠すために、国民党に罪をなすりつけたのであろう。


この環詠亭を含む 雨花道院といわれる区画はもともと道士などの生活区画や宿坊だったらしく、民国時代には旅館などに改装されていたが、その後役所などになったようだ。環詠亭は、1940年7月までは、荒廃していたが一応健在だった。
そのとき、一緒に行った中国人の若者達は、「中国人不愛古」と話していたようだ。まあ西川氏に比べればそうだろうなあ。しかし、含蓄のある言葉であるし、現代でもそうじゃないかと思う。

  source and ref. 西川寧、十字碑と環詠亭、 書エン 第五巻十一号 掲載 
泰山刻石29字 梁刻.jpg 
posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(1) | 日記
この記事へのコメント
大変参考になりました。先日の泰山刻石も、底本は違えど、これらの亜流の重刻なのでしょう。情報量が少ない時代に編集された書籍には現代では考えられないようなミスや誤解があるものですね。
それにしても、ブログの情報量と更新頻度には脱帽です。
Posted by 拓本 at 2019年10月06日 13:08
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