泰山刻石29字本の梁章矩 重刻(下イメージ)があったのが
山東省 泰山のふもと泰山を祭る岱廟の西にあった
環詠亭(上イメージ写真) である。
ここについては、中華人民共和国の一部のサイトは、1928年国民党北伐で破壊されたと書いているが、嘘か間違いである。
なぜなら、1940年の紀行文にちゃんと書いてあり写真まであるからだ。
中華人民共和国時代、たぶん文化大革命中に破壊したことを隠すために、国民党に罪をなすりつけたのであろう。
この環詠亭を含む 雨花道院といわれる区画はもともと道士などの生活区画や宿坊だったらしく、民国時代には旅館などに改装されていたが、その後役所などになったようだ。環詠亭は、1940年7月までは、荒廃していたが一応健在だった。
そのとき、一緒に行った中国人の若者達は、「中国人不愛古」と話していたようだ。まあ西川氏に比べればそうだろうなあ。しかし、含蓄のある言葉であるし、現代でもそうじゃないかと思う。
source and ref. 西川寧、十字碑と環詠亭、 書エン 第五巻十一号 掲載
それにしても、ブログの情報量と更新頻度には脱帽です。