2冊のパスタに関する雑誌/本ですが、パスタの歴史についてのみかたでは、かなり正反対の方向から論をはっています。
左のヴェスタの巻頭記事「アルデンテなんて知らないよ」はスパゲッティ料理の歴史は新しい。20世紀だという目新しい視点で論陣をはっています。パスタの歴史は古いが、現在のスパゲッティ料理の普及はアメリカによるもので新しいという見解です。
一方、右の カンタ・シェルク「パスタと麺の歴史」
http://www.harashobo.co.jp/book/b369164.html
は、パスタの歴史を4000年前のチベット東部や2500年前のエトルリアまでさかのぼらせようとしています。また、欧州のローマ・中世以来の文献からパスタ料理の普及を跡つけています。
左は、
味の素の食文化センターからでているヴェスタ第86号2012年5月号:特集「世界を旅するスパゲティー」。この号の責任編集の前川健一氏がかなり個性的というかアンチイタリアっぽい感じでした。前川氏の巻頭記事「アルデンテなんて知らないよ」は、イタリア好きにはカチンとくる文章でしょう。アメリカ寄りの記述が、米国を敬遠している当方には、あまり感じのよいものではありませんでした。
前川氏の仮説「スパゲティーはイタリア生まれのアメリカ育ちである」「南イタリアからアメリカに移住してきた人々が、安い肉を利用してスパゲティ・ミートボールを作り、大恐慌のおりには安い料理としてイタリア系以外の人にも広まり、トマトソースにスパゲティーを入れた缶詰は軍用の食糧になり、アメリカの国民食のひとつになった。そして、第二次世界大戦後、イタリアにスパゲティーが里帰りして。イタリアでも一気に開花したのではないかというのが、私の仮説である。」という主張に沿った文章になっております。実際、カルボナーラは戦後の発明、しかもイタリア進駐米軍物資に関係したものだそうだから、一理あるところはありますが、どうなのかなあ。勿論、日本のスパゲッティ普及は、戦後の米国経由が最初だろうと思います。戦前の高級西洋料理の時代は、「普及」とはいいがたいものでしょう。
文中に挿入されている5つのコラムは前川氏の筆のようですが、こちらのほうは、偏見が感じられず楽しく読めました。「和風スパゲッティの創始者は壁の穴の創業者 成松孝安氏」というコラムは特によいものでした。
ところで、ここで引用されている「パスタの迷宮」の文章に、「イタリアのどこの家庭でもスパゲッティを食べるようになったのは1960年代から」というのがあるそうです。イタリアは地方性が強いので、全イタリアが同じということはないでしょう。アルプス地域もあるしね。パスタは南イタリア中心だから。イタリアではポレンタを主食にしているところも多いようだし、パンも多いし、ロンバルディアではリゾットも多いと思います。
蕎麦・ソバも、1960年代の九州長崎ではろくに店がなかったのだから、かけそば・ざるそばは、日本料理を代表するものではない、という主張が成り立つでしょうか? それはまずいでしょう。
右の「パスタと麺の歴史」では、なんと4000年前のパスタが中華人民共和国の辺境;チベットの東部 中国青海省民和県の喇家遺跡で発見されたという記述があり、カラー写真まででていました。ほんまかいな?と疑ったのですが、2005年に、人民網などにも記事が掲載されているので、そうひどい間違いではないのでしょう。年代測定には、再試を期待したいとこです。ただ、この遺跡は洪水で一挙に埋もれた新石器時代の村なので、前後の時代のものが混じりにくいという利点もあり、世界最古のパスタというのはたぶん本当なんじゃないかと思います。学者のイタズラでない限り確かでしょう。ただ、このパスタは殷周時代にも主食だった粟が原料であることはともかくとして、遺跡の位置が、中国文化圏の辺境、チベットやユーラシア中部に接したところにあるということから、中国の遺跡といえるのか?という疑義はあります。
実は、この本の中国古文献の読みはちょっとおかしく、急就篇に「餅の詳細な記述がみられる」というのはおかしいので、どうも相談した中国人学者があまりよくなかった感じがいたします。というのは、「餅餌麥飯甘豆羹」が該当する句なんでしょうが、「餅」以下の6字はパスタと関係なさそうだからです。
ただ、一応、いかに疑い深い人の著作(Ref1)でも、6世紀の斎民要術にあるパスタは間違いないということになっています。
エトルリアのパスタというのは、実は実物があるわけでもなく絵や文献があるわけでもありません。チェルヴェテリ遺跡の墓室壁のレリーフ(下イメージ)に、 麺棒など現在のパスタつくりに使われているものが揃っているので、パスタがあったに違いないと推定しているだけです。これはちょっと弱いんじゃないかなあ。
また、古代ローマの料理書アピーキウスにパスタがのってると書いていますが、これは、ちょっと苦しい。原典訳(Ref2)を読みますと、こねた小麦粉を乾燥保存したもののようにみえます。まあ、それがパスタだといえないことはないが、スープのとろみつけに使っているだけなんで、パスタという位置づけは、いかがなものでしょうか?
ただ、この本で面白かったのは、マルコ・ポーロがパスタをイタリアに持ち込んだという伝説は、なんとアメリカ人が宣伝ビラや映画で吹聴したのが、人口に膾炙した原因だという指摘です。なんとアメリカン・ジョークだったのか??
欧州ではACE1138年 シチリアで書いたムスリムの旅行家学者のイドリーシーの著作が最も信用のおけるものです。また、この本によると13世紀の無名のスペイン・ムスリムの著作「マグリブとアンダルスの料理書(Kitab al-tabikh fi al Maghrib waAndalus)」に各種パスタがあるそうなので、スペイン・シチリアを結ぶ地帯が鍵なのではないかと感じています。そうなると、時代は遡りますが、世界最大の都市の一つ、そして文化都市であったコルドバで料理が発達していたでしょうし、欧州でのパスタの源流はこのへんスペインーシチリアーナポリにあるのではないか?と思います。この地域は、アラゴン王ペドロ1世によるシチリアとカタロニアの領有などを通して18世紀までスペインの影響下にあった地域でしたしね。
当方としては、イタリアのパスタを古代まで遡らせるのはいかがなものか? コルドバを中心とした地中海地域のものじゃなかったかと空想しております。
イタリア中心主義でパスタの歴史を書いたネット記事(全九回)がありましたが、これもどうだかなあ。。パスタの歴史はまだまだ未解決なもののようです。
Ref1 田仲靜一、一衣帯水 中国料理伝来史、柴田書店、1987
Ref2 アピーキウス古代ローマの料理書,ミュラ=ヨコタ・宣子訳,1987三省堂
Image : FrontCover: Mario Moretti, CERVETERI, instituto geografico de agostini, novara,1977
なぜかイタリアでは定説になっている「炭焼き職人」という説は根拠がないもので、カルボナーラは”アメリカ発祥”というのはあながち間違いではないようです。
1944年Riccioneという街でイギリス・アメリカの連合軍が料理人を募集し、ボローニャ出身のRenato Gualandiという人が採用になりました。彼は「アメリカ人は非常に良いベーコン、美味しい生クリーム、チーズ、卵の黄身を持っていたので、それを全て混ぜて提供した。最後にコショウをかけて」ということで、ここにカルボナーラの原型が誕生しました。この軍隊がその後ローマに移動し、ローマの人々もカルボナーラを知ることになったそうです。
「カルボナーラはローマ発祥」と聞いていたので、かなりびっくりしました。現在イタリアの”正当”カルボナーラは、guanciale(豚の頬肉の脂身の塩漬け)、ペコリーノチーズ、卵、コショウをパスタにあえるのが定番です。
ちなみに「カルボナーラ」は1951年Cameriera bella presenza offresiという映画の中でマリアというウェートレスが採用面接で「カルボナーラ・スパゲッティの作り方分かる?」と聞かれるシーンがありますが、この頃カルボナーラは全く無名だったそうです。ところが1952年アメリカのレストランガイドにシカゴのレストランが掲載され、そこに現在私たちが知るのとほとんど同じカルボナーラのレシピが掲載され、アメリカでも有名になったそうです。イタリアの雑誌に取り上げられたのは1954年のことで、後発です。(これはGambero Rossoというイタリアのミシュラン的な協会のサイトを参照にしました。https://www.gamberorosso.it/notizie/articoli-food/carbonara-storia-origini-e-aneddoti-di-una-ricetta-mitica/)
それから「パスタ中国発祥説」「マルコ・ポーロが持ち帰った摂」はイタリアでも聞いたことがあります。根拠のいかんはおいておいて、イタリア人は「なんでも中国人が作ったと言うな!」と憤慨していました。
長々と失礼しました!
日本語で検索したら4説出ていました。
http://www.lifecooking.net/entry/2017/07/25/210000
>fontanaさん
>
コメントありがとうございました。
ローマ説のヴァリアントですが、
西川治、西川治のパスタ・ノート―イタリア式調理術 (日曜日の遊び方)、1991/5/30
によると、1947年、ローマのメルカート近くのレストラン レ・デグリ・アミチ で米軍むけメニューとして登場したそうです。
>
>それから「パスタ中国発祥説」「マルコ・ポーロが持ち帰った摂」はイタリアでも聞いたことがあります。根拠のいかんはおいておいて、イタリア人は「なんでも中国人が作ったと言うな!」と憤慨していました。
これは、アメリカ小話、大ボラ、ですが、ハリウッド映画やマスコミで流布した結果、なんとなく信じられているのは酷い話です。
カルボナーラについて、全卵を使うか黄身だけを使うか。
これは、イタリアではどうなんでしょうね。
イタリアの料理書:A Tavola Nell'Antico Pallacio by Luigi e Olga Tarantini Trojani di Mareggio
で全卵使うレシピを読んだので、そういうのもありか?と思いました。
私は黄身のみと聞いていますが、イタリアで料理番組を見ていると結構全部使っている人もいますね。正しいカルボナーラは、黄身のみか全部か、Pancetta(豚バラ肉の塩漬け)を使うかGuanciale(豚頬肉の塩漬け)を使うか、ペコリーノチーズはローマのものか、それ以外の土地のものでもいいのかかなどなど、つい私は「美味しければなんでもいいじゃん」と思ってしまうのですが、いつもイタリア人は口角沫を飛ばしています。
パスタでたどるイタリア史(池上俊一)という本も結構面白かったです。
カルボナーラを最初に提供したレストランの情報、ありがとうございます。
ローマには「発祥」と言われるお店が2軒あります。両方とも同じ名前La Carbonaraなのですが、テルミニ駅に近い方を日本人のサイトの多くでは発祥の店と言っている人が多いようです。日本人だけでなくそう思っている外国人が多いらしく、ほとんどの人がカルボナーラを食しています。かくいう私もそのつもりで行って食べました。美味しかったです。でも改めて今サイトをよく読んでみると、そんなことは一言も書かれてないどころか、今では世界的にローマの伝統的な一皿として有名なカルボナーラは開店当時(1906年)提供してなかったと書いてあるだけでした。(「最初のオーナーでコックだった女性が炭焼き職人の妻だった」のがお店の名前の由来だそうです。)
もう一軒のカンポ・ディ・フィオーリに面したお店の方は、この地域で炭焼き職人をして旦那さんや同僚のためにパスタを提供していた奥さんが店をこの場所に開いた、とだけ書いてありました。
Re degli amiciはこちらでしょうかね?https://www.redegliamici.com/
1927年創業みたいなので、提供していてもおかしくはないですが、そばにメルカートが有ったかは疑問です。(現在、スペイン広場のそばに有るようです)同名の現存しないお店ですかね?
色々探してみたのですが、「港のそばのレストランで初めて提供された」という記事もありましたが、誰が今の原型を作ったか、に比べて「どこで一番最初に提供されたか?」の方ははっきりとした情報は見つかりませんでした。
再び長文で失礼しました。
>Re degli amiciはこちらでしょうかね?https://www.redegliamici.com/
>1927年創業みたいなので、提供していてもおかしくはないですが、そばにメルカートが有ったかは疑問です。(現在、スペイン広場のそばに有るようです)同名の現存しないお店ですかね?
西川治氏の本を読み返してみたら、ご指摘の店のことのようです。メルカートというのは、西川氏がいうのはヴィットリア通りのことみたいです。1970年ごろこの通りは市場状態だったそうです。1986年には、全く違った通りになっていたようですけどね。ヴィットリア通りはRe degli amiciい近いので、間違いないと思いました。
西川氏の本を読んでみようと思います!