2019年11月01日

法隆寺金堂火災

法隆寺壁画 被災後.JPG

  首里城の火災の報道に触れて、
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191101/k10012159651000.html

昭和24年1月26日の法隆寺金堂火災を思い出した。イメージは被災後の壁画(ref 著作権  消滅済み)このときは、バックファイヤーがなく、全焼崩壊にはならなかったが、それでも大被害だった。

  このときは、幸か不幸か法隆寺金堂は解体修理中であり、二階以上は存在せず、内部の仏像仏具もなく、飛天の壁画も取り外してあったのが、不幸中の幸いであった。

 原因は、模写画家が使っていた電気座布団だったということである。
 これについては、それ以前に壁画の大部分を大きな乾板に写真にとった便利堂のスタッフが呆れかえっていたという。便利堂のスタッフは写真を撮る前後に電柱に登ってトランスの接続を切ることまでして、防火に努めていた。画家たちの無神経に茫然自失したらしい。

 もっとも、真の原因は、壁画模写を中止しなかったことにある。もともと、この模写事業は、米軍の空襲・戦争の被害を念頭において、複製をとっておくことが目的だった。したがって文部省の事業として行われたわけである。敗戦後、その危険がなくなったので、模写事業は中止すべきであった。当時、物資も少なく、資金も少なく、悪環境だったのだから、当然、そうすべきだったのに、一旦決めたことを意味も無く継続するという、現在まで続く官僚の悪癖のために、火災の原因を作ったのだろう。

ref 便利堂, 法隆寺壁画集, 1951, 京都


posted by 山科玲児 at 07:39| Comment(0) | 日記
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