2019年11月22日

ストロンチウム分析とマヤ文明

maya3.jpg
イメージは大英博物館の  ヤシュチュラン浮き彫りです。


芝崎みゆき、古代マヤ・アステカ不可思議大全  草思社、2010/5/22
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794217622
この本は、もう学問的論争に耐えられるほどのできなのですので、あえてひとつ出しておきます。これは9年前に書いたものを増補改訂したもので、数理歴史的なアプローチです。まあ足し算引き算できればわかるような、当たり前のことなんですけどね。
 それは 111−116Pにあるティカルの王ヤシュ・ヌーン・アイーン1世 とその父親「投槍フクロウ」との関係に関することです。。
 なお、ここでもとにしているマヤ暦の紀元と西暦対照については、2013年という最近の論文でもGMT(グッドマン・マルチネス・トムスン説)でいいということになっていますから、GMTを使います。仮にGMTが誤りであっても、下記議論には影響しません。なぜなら、年代の差だけが問題であって、絶対年代は関係ないからです。
REF. 
NATURE Published: 11 April 2013
Correlating the Ancient Maya and Modern European Calendars with High-Precision AMS 14C Dating
https://www.nature.com/articles/srep01597?WT.ec_id=JA-SREP-20130423

以下は 2009年01月18日 にアップした、
ストロンチウム分析とマヤ文明
https://plaza.rakuten.co.jp/yamashinareiji/diary/200901180001/
を補筆改訂したものです。

古代メソアメリカ文明――マヤ・テオティワカン・アステカ (講談社選書メチエ) 青山 和夫 
の中に、遺骨の歯のストロンチウム同位体分析によってマヤ文明の大都市ティカルの「曲がり鼻」王(ヤシュ=ヌーン=アイーン1世)(ACE379即位-404?)がティカルの地元の人間であることがわかったような記述があったが、これは少し先走り過ぎる結論ではなかろうか。
 ストロンチウム同位体分析というのは歯のエナメル質に含まれるストロンチウムの同位体比が地方によって違うことを利用して、どこで生活していたかを調べるものである。エナメル質の場合は永久歯形成時期10歳ぐらいに生活していた地域がわかることになる。
 ここで、対象になった遺骨は、ティカルの真ん中にあるピラミッド34の中にみつかった埋葬10の遺骨である。
 まず、事実として、
・埋葬10の王様は10歳以前の数年はティカルにいた。(ストロンチウム同位体分析の結果)
・埋葬10には、「『投槍フクロウ』の息子のコップ」と書かれた土器が埋葬されていた。
・ピラミッド34の基部には、ヤシュ=ヌーン=アイーン1世の石碑が2つある。
 次に、碑文の記録として、
・ヤシュ=ヌーン=アイーン1世はACE379年に即位した。
・『投槍フクロウ』はACE374年に、別の都市の王に即位した。
・ ヤシュ=ヌーン=アイーン1世は『投槍フクロウ』の息子である。
・『投槍フクロウ』はACE439年に逝去した。
マヤの暦はかなり厳格だし、よく解読されているので、年代はほとんど大丈夫だろう。

  これらの年代を比較してみると、重要な疑惑がでてくる。例えば『投槍フクロウ』王が70歳で死んだとすると、生まれたのは369年だから、即位は五歳になる。これはまだいい。ヤシュ=ヌーン=アイーン1世は十歳以下のときにできた子供になる。いくら古代でも、これは早すぎだろう。また、赤ん坊のときヤシュ=ヌーン=アイーン1世が即位したとは思えない(近世のモンゴロイドでも生後1年ぐらいの子供は良くも悪くも人間とは違った存在とされたことが多い)。また,征服地の都市の総督・代理人の王として派遣された王子なら次男以降の王子であろう。それを考慮すると、『投槍フクロウ』王の死亡年齢は最低でも八十歳〜八十五歳でなければならない。古代マヤに、そういう長命の王がいなかったわけではない(パレンケのパカル王)が、それにしてもかなり稀なことだろう。『投槍フクロウ』王の死亡年齢をできるだけ現実的なものに押さえるとすると、ヤシュ=ヌーン=アイーン1世は2,3歳ぐらいの極幼いころにティカルで即位したと考えなければならない。そうなると、ヤシュ=ヌーン=アイーン1世の出身地や本家がどこであろうが、永久歯生え替わりのころはティカルに居住しているに決まっているのだから、ストロンチウム同位体分析ではティカルの住人と同じとなるに決まっている。

  ヤシュ=ヌーン=アイーン1世がティカルにもともと住んでいた王族なのか、それとも、外部から遠征軍とともにやってきた別の都市の王族なのかは、マヤ文明の歴史の中で大きな事件である将軍「シアフ=カック」のティカル到着をどう解釈するのかという鍵になることなので、このストロンチウム分析結果だけで軽率な説をあげるのはよろしくない。


posted by 山科玲児 at 08:18| Comment(0) | 日記
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