2019年12月10日

古代マヤ文明の紙

maya3.jpg

イメージは、大英博物館にあるヤシュチュランの浮き彫りの一部、鉢になにか盛ってあって血を受けている。

 浮き彫りの解説で、血を紙につけ、それを祭壇で燃やして供養するという記述があった。
 でも、ちょっとまってほしい。中国の発明である紙はコロンブス以前には、アメリカ大陸にはなかったはずである。ではこの「紙」はなんなのだろうか?

 どうも。これは古代エジプトのパピルスに似た方法で樹木の内皮からつくる樹皮紙のようである。いわゆる絵文書、ドレスデン・コデックスなどもみなこの樹皮紙に描いてあるようだ。当然、贋作絵文書も新しく作られた樹皮紙に贋作するのだろう。ただ、スペイン支配以後に制作されたもので紙に描かれたものがなかったのかどうか?はわからない。

 マヤ人は実はエジプトから来たとか、エジプトもマヤもアトランティスから来たとかいう説が過去にあった遠因がこれかもしれない。ピラミッドが両方にあったりするようなこともあるが、どちらもパピルスのような紙を使っていたという事実も大きいのではなかったか。エジプトのパピルス本は巻物だろ、という異論もあるかもしれないが、それはあたらない、4世紀ごろのエジプトで制作されたパピルス本、ナグ・ハマディ写本は10数册ほとんどが冊子本、コデックスである。



posted by 山科玲児 at 08:50| Comment(0) | 日記
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