2020年01月04日

草子洗小町

草子洗小町  春信ss.jpg
   1月2日、書き初めの前の洗硯のとき、なぜか、 草子洗小町(そうしあらいこまち)という言葉が連想された。
 もともとは、いわゆる小野小町伝説・神話  七小町のひとつで、能楽にもなって流布したものなんだが、

  盗作疑惑の捏造 −> 疑惑を晴らす、という推理物のようなストーリーになっている。

 これで、なんとなく昔からひっかかっていたのは、「本を水で洗う」という行為である。水で洗って本がグチャグチャにならないのか、他の墨や絵具もなくなってしまわないのか?  書き込んだ墨が消えるというのは「奇跡」というのでいいとしても、どうも感覚的に納得がいかない。

 これは、どうしても現代の紙でできた本をイメージしているから、そういう発想になるわけで古い厚めの和紙の巻物の本なら、「洗う」というのも、それほど不自然な行為ではないのかもしれない、と思う。現代で安易に想像できるのは、日本の紙幣は丈夫な和紙だから汚れてもすぐ洗えばOK というようなケースだろうか。

 イメージは江戸時代天明期の鈴木春信の版画で、みたて/やつし 「草子洗小町(そうしあらいこまち)」である。子供が「いろは」の手本を汚してしまって、水洗いしているという設定にしてある。
イメージ ソース:: 千葉市美術館 鈴木春信展 2002年(9月-10/20)  図録 

posted by 山科玲児 at 10:09| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: