マイケル・D. コウ Michael D. Coe,
監修増田 義郎, 翻訳 武井 摩利, 徳江 佐和子
「マヤ文字解読」
http://www.amazon.co.jp/dp/442220226X/
これは、原著が1999年 出版であるが、1993年ごろに書いた第11章において、
>今でも大多数の現場考古学者はマヤ文字をほとんど読むことができない
と書いてある。えー、そんなことあるんかなああ。。。確かにこれはずいぶんと変なことである。コウ先生も書いているようにメソポタミアやエジプトの考古学者が古代文字を読めないなんてありえないだろう。またマヤ語ができない考古学者も多いようである。
当方は、学生時代に、スペイン語、マヤ語、英語が必要だというので、これはしきいが高いな、と思って、この分野の研究は諦めたのだが、米国でなら楽勝だったんだな。
現在のトルコ、ヒッタイト帝国(マンガで有名になって宝塚にも出たらしい)の王都ハットゥーシャ(現 ボガズキョイ村の郊外)を発掘したのは、ドイツの学者フーゴー・ウィンクラーHugo Winckler(1863-1913 右イメージ)だった。1906年7月17日から発掘を開始した。1906年8月20日、発掘された楔形文字の粘土板のうちアッカド語(メソポタミアで使われていた言葉で当時のオリエントの国際語であった)で書いてあるものは、ウィンクラーは、すぐに読めたようで、その1枚が 世界最古の平和条約 エジプト・ヒッタイト平和条約のヒッタイト側での写本であると気がついたそうだ(ref)。エジプト側の写本は、カルナック神殿の壁にラムセス2世がデカデカと刻んでいたから、既に有名だった。
1906年8月20日、コウ先生が嘆いた1993年の87年前のアッシリア学者は楔形文字アッカド語文書を現地で読めるのが普通だったという証拠でもある。
2019年09月28日 世界最古の平和条約 原文英訳
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/186614017.html
ベルリンにある粘土板(Wikimedia): どうもイスタンブールにもあるようなので条約の写しは複数あったようだ
エジプト カルナック神殿にある条約 刻文 写真
https://www.hethport.uni-wuerzburg.de/HPM/pics/anfaenge/7-Ramses-Friedensvertrag.jpg
REF. 高津・関根、古代文字の解読、岩波書店、1964