コロナで、お籠もりの間に論文を再読したので、増補して、また出します。
2020年03月31日にインスホールの聖母子(イメージ)
というコメントを書いたが、もと、ヤン・ファンアイク作とされてきたこの小さな聖母子像
https://www.ngv.vic.gov.au/explore/collection/work/3945/
について、
メルボルンでの詳細な研究を読んでみた。。
The National Gallery of Victoria’s Virgin and Child, by a follower of Jan van Eyck: a continuing reassessment | NGV
https://www.ngv.vic.gov.au/essay/the-national-gallery-of-victorias-virgin-and-child-by-a-follower-of-jan-van-eyck-a-continuing-reassessment-2/
1999年に行われた樹林年代法 はどうもうまくいかなかったようだ。オーク材には違いないのだが、該当する年輪パターンをみいだせなかったという。ひょっとしたら、バルト海沿岸から輸出されたオークではないのかもしれない。
特に、面白いと思ったのは、聖母子の背後の錦の織物・壁掛けが ファンアイクのものと似ず、メムリンクが使っているものとそっくりだ、という指摘である。確かにこれはそうだ。色は多少違うが、メムリンクの真作間違いない、ブリュージュのヨハネ・マリア祭壇画(1479)の聖母子背後の壁掛けと柄が似ている。この壁掛けはロンドン:ナショナルギャラリーのダン祭壇画(1480?) 、ルーブルの「聖ヤコブと聖ドメニコのいる聖母子」、ロンドンNGの聖母子、、ワシントンNGなど実に多数のメムリンク画に使用されている。
また、色は赤で違うのだが、(伝)ヒューホー ファンデアグースの「三王礼拝」(ペテルスブルク エルミタージュ)にも同じ柄の錦が使われていることを、この論文は記している。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Adoration_of_the_Magi_triptych_by_Hugo_van_der_Goes,_Hermitage.JPG
しかし、この作品はグースの真作とは到底考えられないので、グースの作品から派生した模倣作品のようだ、そうなるとこの「三王礼拝」自身が、ブリュージュのメムリンク・アトリエやその周辺で制作されても不思議ではない。
そうなると、メムリンクのアトリエにいたことがある、メムリンクとは別人の画家、またはブリュッヘで修行してネタを集めていた画家の作品であり、当方が昔考えていたペトルス・クリストスの絵ではないようだ。ペトルスより一世代後の画家ということになる。ヤン・ファンアイクの孫弟子ぐらいの世代ではなかろうか。
もう一つ面白いのは左側の窓の雨戸というか防護用のシャッターがガラス窓の外側壁の外側につけてある、という指摘である。ベルギーの場合、ほとんど内側につけてある。例えば、メムリンク作マルチン・ニーウェンホーヘ像(ブリュージュ)の背景の窓:ファンアイクのアルノルフィーニ夫妻像(ロンドン)の左側の窓、、外側にシャッターをつけるのは、どうもドイツよりの地方の習慣らしい。雨戸・防護扉・シャッターが外側についているのは、ウェストファーレンの絵画に多いものだそうである(当方は未検証)。フェルメールの窓は外側に雨戸のようにみえる。そうなると、この画家はメムリンクと同様ドイツから来た画家なのかもしれない。
また、赤外線レフレクトグラフィー でみえた天蓋の下書きが、天蓋からロールアップ カーテンがぶらさがっていた。
https://content.ngv.vic.gov.au/col-images/api/EPUB002259/1280
しかし、このようなカーテンが聖母子の背景に使われたことはない。このカーテンはアルノルフィニ夫妻像のような寝台の周りに使われたものである。どうも、あまり初期フランドル絵画をよく知らない画家が描きかけてやりなおしたという感じがする。
この論文の結論としては、北ドイツの画家が、ファンアイクなどの先人の材料を豊富に吸収して描いた作品ということである。しかし。メムリンク自体がドイツ出身の画家なのだから、ドイツからブルッヘへ修行に来た画家は多かっただろう。なんとアルブレヒト・デューラーも晩年のメムリンクのところに来たらしい形跡がある。このインス・ホールの聖母は、そういう画家の一人の作品ではないか? とも当方は想像している。