アメリカ大陸へ人類が渡った時期について、近年、みなおしが行われているのは側聞していたが、かなり多くのデータを出して紹介してあった。 なるほど、これじゃ新説のほうが正しいどころか3万年前ぐらいは確実っぽいね。
前から気になっていたことは新大陸メソアメリカでの土器の制作が旧大陸の約1万年以上前と比べてBC2000年ごろと著しく遅れることだ。この件については、あまり新説はないようだ。
モンテ・アルバンのダンサンテ(踊る人)の石刻について「人身御供にされる拷問される捕虜」という解釈とは違う説が紹介されていた。
しかし、ほんとかなあ?
古代メソアメリカ第一の大都市テオティワカンには謎が多い。例えば人身供犠の死体の墓というより埋葬拠点はあるが、王墓らしいものはない。ひょっとしたら、古代エジプトのように墓地区域は都市から別の離れたところにあるのかもしれない。古代エジプトでは、おおまかにいって、ナイルの西に、大きな墓地、葬祭殿が建設されていて、都市とは離れている。南米ペルーのパラカス・ネクロポリスのような集団墓地は住居とはちょっと違うように思う。 マヤ地域のようにお墓を家の下に作るという習慣とは違うのかもしれない。 また、テオティワカンを中心とした交易 物品が 贅沢品中心で量が多くなかったような記述があるが、それは違うと思う。 考古学発掘では残りにくいカカオ、食料、織物、毛皮、塩、多量の鳥の羽、など有機物を中心とする物資の移動があったのでは。。古代ローマでも、食料のエジプトからの船による輸入という問題があったように、あれだけの大都市の場合、周辺地域だけで食料自給できたのか 疑問である。。