2020年08月08日

グリューネワルトとメムリンク

検索というのは面白いもので、1つの単語地名を横断的に検索するので、ときどきはっとする事実が浮かび上がることがある。
マチアス・グリューネワルトとハンス・メムリンク:この一見全く反対の画風の画家が同じ町の出身もしくは同じ町に住んでいた、とんでもない地縁があったようなのだ。勿論、年代がずれてるからその町で親交があったというわけではない。
それが、マインツの南部、アッシャンブルク近郊のゼーリゲンシュタットだ。
メムリンクはいうまでもなくゼーリゲンシュタット生まれである。両親が1451年ごろ逝去して、その後、おそらく、ケルン、ブリュッセルを経てブリュージュに落ち着いて大成した人だ。

マチアス・グリューネワルトが、遠くハレで仕事していて客死?したときの古文書があり、マチアスのゼーリゲンシュタットにいる息子に通知することが書いてあった。つまりゼーリゲンシュタットに本拠をおいていたのだろう。
マチアス・グリューネワルトは、アッシャンブルクのマチアスとも当時呼ばれていたのだから、アッシャンブルクとは深い関係があったんだろうが、まさかメムリンクの生地:ゼーリゲンシュタットと関係があったとは思わなかった。ゼーリゲンシュタットには、現在マチアス・グリューネワルト通り、というのがある。

そういうことで、マチアス・グリューネワルトは修業時代にブリュージュのメムリンクのとこにもいったのではないか?という憶測もあるようである(ref)。なんか到底信じられないが。
しかしあの苛烈なグリューネワルトと端麗優雅なメムリンクがねえ。

Ref. Pietro Bianconi,  Tout l'ouvres peint de Grunewald, 1984改版本、Flammarion, Paris
     
posted by 山科玲児 at 08:03| Comment(0) | 日記
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