2020年08月21日

鍍金孝子伝石棺




香港雑誌オリエンテーションズが配達されてから48時間ほど放置してから、ようやく開封して読みました。コロナ時代は面倒くさいな。

このなかで、当方が6年前に取り上げていた
   2014年05月13日  ネルソンとミネアポリスの孝子伝石棺の刻画
    http://reijiyamashina.sblo.jp/article/96415253.html

ミネアポリスの鍍金孝子伝石棺のことを研究していた。こういうのを取り上げる人もでてきたんだなあ。ニューヨーク州のVassar Collegeの助教授やってる中国系の人です。

Orientations  Volume 51 - Number 4  July/August 2020

Recovering the Honour of a Royal General: The ‘Yuan Mi’ Sarcophagus Reattributed

テーマは墓主が元ヒツ[金+必+皿]ではなく、別人なんだという論旨でした。根拠は書風書体が違いすぎるということだそうですね。西安碑林にある元融墓誌が本来セットになっていたものだという主張ですが、そうはっきりいえるのか疑問ですね。もともとが元ヒツ[金+必+皿]墓誌と同じ墓から出たというのは骨董屋の伝承だったので、間違いはあると思いますが、元融だといえるのかな。石棺と墓誌が同じ人が書いているという根拠ですが、2012年に曹操の子孫だった曹連の墓が洛陽の龍盛小学校を工事していたとき発見されたことです。その石棺には孝子伝画像が刻まれていて、墓誌もでてますので、双方の文字書風を比較できるんですね(下イメージ)。一目瞭然で同筆です。まあ、当たり前といえば当たり前ですよね。1930年代には、こういう孝子伝石刻結構でてたんですが、中華人民共和国以後は出土例があまりなかったのでこういう考古学的発掘例は貴重です。
曹連 墓誌と石棺 2020No51No4.JPG

これについての初期のコメントは、日本のもので、
 奥村伊九良 孝子伝石棺の刻画に就いて(上)
寶雲 第20册 1937年8月30日 寶雲刊行所、京都

奥村氏の論説のなかで、主題であるネルソンアトキンス美術館の孝子伝石棺とは違うミネアポリスの「鍍金孝子伝石棺」という全く別の石刻があることが言及されています。なんか日本に持ち込まれて買い手を探したこともあるそうですね。鍍金というのが不気味でどういうものかみてみたいと思っていたが、ネットでイメージをかいまみることができます。
ミネアポリス鍍金孝子伝石棺
 https://collections.artsmia.org/art/738/sarcophagus-of-prince-yuan-mi-china

 ここでは、3Dでもみることができますが、3D画面では模様や刻字刻画は、ほとんどわからない。ただ、鍍金は上面の端縁にだけ残っていたんだな、ということが発見でした。

posted by 山科玲児 at 11:09| Comment(0) | 日記
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