郭抹若の蘭亭偽作説の中で重要な位置を占める李文田の論説は、活字すら、原文の全文みるのは難しい。現在では、ほとんどすべて孫引きだという恐ろしい事実に気がついた。
とにかく、李文田の真跡墨跡で原文をここに紹介しておく。汪中本蘭亭序拓本の後につけた跋文である。
要旨は、
1。世説新語(世説新書)の注にひいた臨河序と現在の蘭亭序が大きく違う。文章すら信じがたいのに、どうして書法を信じることができようか
2。王羲之の時代の書であれば、東晋時代の碑である爨宝子碑やその半世紀あとの爨龍顔碑のような書風であるべきである。現在の蘭亭序は隋唐時代の優れた書ではあるが、王羲之の書ではない。
という極めて明快論理的な論述である。李文田の時代にみることができた証拠を前提としたら、すばらしい論だと思う。しかし、現在、東晋どころか三国時代の行書楷書が多量に出土しているのだから、論拠そのものがひっくりかえってしまっているわけで、名文卓論ではあるが認めるわけにはいかない。
それにしても、宋時代の古い蘭亭序拓本のあとにつける跋としては、ずいぶん大胆な文章を書いたものである。本体の蘭亭序を「偽作」とけなしているんだからなあ。もともと跋は、ほめそやし、オベンチャラを書くことが多い。そうでなければ「みましたよ」というアリバイみたいな観記になったりする。本体に攻撃的な文章を書くとは、李文田はそうとう図太い。
この汪中本は、巻物の形に装丁されているらしいが、現在行方不明である。戦前つくられたモノクロ複製を転印してあちこちで紹介されているだけである。カラー写真もないと思う。なお、この汪中本蘭亭には精密極まる翻刻がある。清時代後期に汪中本所蔵者に頼まれて呉穣之が彫ったもので、石のヒビ 欠損まで悉く似せたものである。写真では区別が難しいほどだ。