2020年10月02日

日本軍の文化財略奪はあったのか?

キョウ心シン跋  遊相蘭亭.JPG



上海図書館にある 遊相蘭亭3種 蘭亭詩1紙を合巻にした手巻に、上海の収集家: キョウ(龍+共)心サ が、
 1935年、日本三井財閥の代理人である江藤(江藤濤雄  長安荘)が来たが見せなかった。大商人董康が来て、高価で売れといったが売らなかった、
と誇らしげに書いている(イメージ)。しかし、第1次上海事変(1932年)の3年あとでも、売らない自由があったということだろうし、日本が強制も略奪もしなかったという証拠ではなかろうか。

 もうひとつ 不思議なのは、丁丑劫余印存である。これは4人の杭州の収集家が1937年第2次上海事変のあとに、上海に集まって制作した大印譜である。1939年完成。明清以降の有名篆刻家の印影を集めた印譜としては選択鑑識ともに優れた抜群のものだとされている。
東京国立博物館にも一部ある
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0076452

 ところが、これは上海での制作である。当時、上海の租界だったろうが、日本軍の影響力は大きかったはずである。かれらは まさか日本租界にいたのだろうか? フランス租界? 日本軍が文化財略奪やっていたのなら、なぜ彼らは上海に来たのか?
  易均室のように重慶にいった人もいるというのに。
 少なくとも租界では、文化財略奪の心配などなにもなかったからではないか? 杭州にいるより安全と思ったからだろう。
 1937年第2次上海事変のとき、蘇州の大コレクター過雲楼顧麒士氏一族も書画をもって上海租界に避難している。そのとき日本人の友人に助けられたそうだ。その後、1940年、上海租界は日本軍管理になったのに、一つも没収されていない。実際、顧氏の子孫もそういっている(ref2)。過雲楼顧氏のコレクションは上海博物館の書画コレクションの重要部分である。

 また、南京攻略後に文化財に関する略奪・日本内地移送がなかったのは、次の事情でもあきらかである。
2018年03月17日 南京に残された文物
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/182713954.html

>また、国民党軍が南京から敗退したあとに、倉庫に残されたものもあって、それは日本軍が放置・保存していたものである。元南京博物院院長梁白泉氏の証言
>「一部の文物は南京の倉庫に残されたままになっていましたが、日本が南京を占領していたときも、これらの文物は破壊されず、手つかずで残されていました。」
>


  文化財を保護したというより、どちらかというと、あまり関心がなかったというのが実状だろう。

ただし、新聞記者、通信社記者などのジャーナリストには、略奪したものをもっていた人がいたようだ。「10割引で買った」という言い方をしていたという。当時からジャーナリストは腐敗していたということである。

ref1  上海博物館編、上海図書館蔵善本碑帖、上海古籍出版社、上海、 二〇〇五年
ref2 上海博物館編,  過雲楼書画集萃,  2002
posted by 山科玲児 at 08:13| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]