マイケル・D. コウ Michael D. Coe,
監修増田 義郎, 翻訳 武井 摩利, 徳江 佐和子
「マヤ文字解読」
http://www.amazon.co.jp/dp/442220226X/
監修増田 義郎, 翻訳 武井 摩利, 徳江 佐和子
「マヤ文字解読」
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を 再読していたら、あることに気づいた。昨日書いたパカル王の墓所をペレンケの碑文の神殿ピラミッドの内部奥深くで アルベルト・ルスが発見したのが1952年6月15日、そしてユーリ・クロノーゾフが、マヤ文字解読の画期的論文をロシア語で発表したのが、同じ1952年10月だ。
そうすると、ツタンカーメン墓の発見に比すべきパカル王の墓所の扉をアルベルト・ルスが開けたとき、遠くレーニングラード(現在のペテルスブルク)のネヴァ河のほとりで、 クロノーゾフは歴史的論文を書いていた、ということになる。これは、なんというか同時性というかシンクロニティを感じないわけにはいかない。