概説書を読んでると、曇曜が北魏五帝に似せて雲岡石窟に5つの大仏を作ったかのように誤解してしまう。たぶんそうだろうとは思うが、魏書釈老志には、明確にそう書いてあるわけではない。
曇曜の師匠先輩にあたる西域の王族の僧侶:師賢が、五帝になぞらえて丈六の金銅仏を五体つくったということは書いてある。師賢はまた文成帝の等身の石像(たぶん仏像)をつくり黒子まで似ていたそうだ。
師賢が逝去したあとに、曇曜が雲岡に5仏像を作ったことが書いてあるので、たぶんそうなんだろうなあ、、とは思うけれど明言してるわけではない。
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