2021年01月29日

温泉銘と米元章

温泉銘detail.jpgniji mifu.jpg


で、
パリのBiblioteque Nationale の  唐  太宗皇帝の温泉銘  拓本を紹介したが、
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b8303120v/f1.item

この素晴らしい画像をつらつらみていたら、あることに気がついた。

米元章(米フツ)の書法のルーツは温泉銘じゃないのか??

上イメージで「虹」の字など、そうとう似てる。拓本は温泉銘、墨跡は米元章(米フツ)虹県詩巻(東京国立博物館)
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0099102

温泉銘自体じゃなくても、太宗皇帝の他の行草書を模範/ルーツにしているのが、米書ではなかろうか? 北宋末の宣和書譜には唐太宗皇帝の墨跡が十四種記載され、行草書もある。
米元章(米フツ)の書法は、個性的ですぐわかるし、後世、米元章(米フツ)に影響を受けた人々の書もすぐわかる特色がある。では米は独自に発明したのか?それともなんらかの模範があったのか?ということについては、米自身が書いた文章をもとに、王羲之だ王献之だ晋人だという論説が多い。しかし、ちょっとピンとこないところがあった。
  ここに、実物で比較対照すると、唐太宗皇帝の周囲の書からの影響が強そうである。面白いことに米の著作・記述には唐太宗のことは触れていないようだ(未だ精査してないが)。個性的な天才芸術家というものは、自分が最も影響を受けた人や作品を隠すものだ、とどこかできいたことがある。
  では、太宗はどこから学んだのだろうか? 文献によると、虞世南を先生にしたそうだ。その虞世南の積時帖が、「太宗の書と似てる」と述べたのは、故:伏見冲敬氏であった。この積時帖と温泉銘は確かに似ている(下イメージ  左 虞世南  右  温泉銘から2字あつめた)。積時帖は米元章の臨書だといわれたこともあったが、どうもそれは反対で、
虞世南 → 唐太宗  →米元章

という系譜からくるものだったようだ。

積時帖 積時.jpg

posted by 山科玲児 at 07:31| Comment(0) | 日記
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