6月2日の長崎新聞で 平成2年6月3日に起こった 雲仙普賢岳火砕流事件のことを回顧していた。
平成3年6月3日の火砕流では、死者40人、行方不明3人、負傷者9人、建物被害179棟
火砕流は既に5月29日に大規模なものが発生していたので、とうに退避勧告がでていたにも関わらず、マスコミども(報道関係者)が待避しなかった。
自業自得の報道関係者16名を除けば、
知らせに行った警官2名、
報道が使ったタクシー運転手4名、
防災関係者 12名
が逝去された。
退避勧告が遅すぎたということはない。
自爆テロ,抱きつきテロのようなことをやっていたのに、自画自賛する文章が産経新聞にあって呆れてしまった。
あの日の取材、刻まれた思い 雲仙・普賢岳火砕流30年 本紙元記者が振り返る
https://news.yahoo.co.jp/articles/867d81a5cb77df760410ea070521739a4b56ffd8
https://news.yahoo.co.jp/articles/867d81a5cb77df760410ea070521739a4b56ffd8