聖徳太子で、話題として面白いのは、中世の太子信仰で、荒唐無稽の伝説・神話がつくられたことですね。楠木正成が四天王寺で触れたという聖徳太子未来記という予言書の話は知っていましたが、
石田公成氏の本、
聖徳太子 実像と伝説の間
https://honto.jp/netstore/pd-book_27630731.html
によると、
「中世には兵書を伝授された兵法の達人として秘術を尽くして戦う太子を描くものまで登場しています。このため、戦国時代になると『日本無双の勝軍神』としてあがめ、戦の神とみなして戦勝祈願する武士もいたほどです。」
実際
聖徳太子流
という軍学兵法もあるといいます。
大阪南部の河内には、聖徳太子ゆかりの「下の太子」と呼ばれた勝軍寺があります。
この寺「元弘の乱の折、楠木正成が河内に兵を挙げるや、勝軍寺に詣でて太子の霊に告げ」(ref)
だそうです。
この勝軍寺には太子の四大臣の像という伝えがある4像があります。上に2体を示します(image source:ref 写真著作権消滅済み)。もとは四天王だったようで、法隆寺の四天王を模倣して平安時代につくったものと推定されてます。
ref 東洋美術、第2册 1929年6月28日 安藤更生 勝軍寺の佛像 ー止車館隨錄ー 、飛鳥園、奈良