平安時代11世紀後期成立とされる造園の古文献;作庭記
を現代語訳
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で読んでみると、これは土木建設の話だと感じたものだ。
水準器を使って傾斜を測ったり、池の縁に庭石をたてるときは、その基礎を十分固めないと、水を入れたとき崩壊してしまうという注意まである。また遣り水といっても水源からどうやって自然の傾斜や管を使って導くかということが書いてある。電動ポンプがないのだから、微妙な高低さを利用するのである。カンボジアのアンコール遺跡で微妙な高低差を利用した水利事業をやっていたことを連想した。また水源が高ければ、流れの押す力で遣り水に高低差がなくても流すことができるようだ。また、貯めた水が腐って、虫がわくので排水が重要だ、という極めてリアルなことが書いてある。
11世紀後期の庭造りの著作ということを考えると、驚くべき現実主義である。
著者は関白頼道の息子 ではないかと考えられているが当時の上流貴族はずいぶんなリアリストである。
イメージは平泉の毛越寺庭園:当方撮影
ところで、現在、室町以前平安後期の庭園を発掘・修復するときは、島の水際や岸の水際に小石を敷き詰めることが通例になっているようである。その典拠が作庭記にあるかとおもって呼んだが、あまりはっきりした記述はないようである。
これは、発掘によって実証されているのかどうかはよく知らない。少し濫用されすぎている感じもする。
水準器を使って傾斜を測ったり、池の縁に庭石をたてるときは、その基礎を十分固めないと、水を入れたとき崩壊してしまうという注意まである。また遣り水といっても水源からどうやって自然の傾斜や管を使って導くかということが書いてある。電動ポンプがないのだから、微妙な高低さを利用するのである。カンボジアのアンコール遺跡で微妙な高低差を利用した水利事業をやっていたことを連想した。また水源が高ければ、流れの押す力で遣り水に高低差がなくても流すことができるようだ。また、貯めた水が腐って、虫がわくので排水が重要だ、という極めてリアルなことが書いてある。
11世紀後期の庭造りの著作ということを考えると、驚くべき現実主義である。
著者は関白頼道の息子 ではないかと考えられているが当時の上流貴族はずいぶんなリアリストである。
イメージは平泉の毛越寺庭園:当方撮影
ところで、現在、室町以前平安後期の庭園を発掘・修復するときは、島の水際や岸の水際に小石を敷き詰めることが通例になっているようである。その典拠が作庭記にあるかとおもって呼んだが、あまりはっきりした記述はないようである。
これは、発掘によって実証されているのかどうかはよく知らない。少し濫用されすぎている感じもする。