この芸術新潮の聖徳太子特集は、
わりと最新の美術史の成果をとりいれたおもしろいものになっている。
例えば、夢殿の救世観音菩薩像が、西院金堂の釈迦三尊像より古いかもしれない、という説は初めてきいた気がする。
また、四天王寺関係からの話で、、中世以降の聖徳太子信仰の行事をかいま見ることができるのがよい。
実のところ、聖徳太子研究というと、飛鳥時代や奈良時代の話ばかり、ときには中国南北朝隋唐をもちだすぐらいで、日本の中世の伝説や神話、偽書に満ちた世界は、無視されることが多いように思う。だから江戸時代までは常識だった聖徳太子に対するいくつかの通念・俗信が現代人には無縁になっているのではないか?と思うところがある。
冒頭にある初期浄土真宗で使われたという光明本尊は、一種の曼陀羅だ。
右下に、聖徳太子とその周囲の人が描かれるのも、親鸞上人が京都の六角堂に100日参籠し、聖徳太子の夢のお告げをえた、という故事に基づくものだろうが、普通の仏教美術の展示ではパスしてしまいそうだ。
わりと最新の美術史の成果をとりいれたおもしろいものになっている。
例えば、夢殿の救世観音菩薩像が、西院金堂の釈迦三尊像より古いかもしれない、という説は初めてきいた気がする。
また、四天王寺関係からの話で、、中世以降の聖徳太子信仰の行事をかいま見ることができるのがよい。
実のところ、聖徳太子研究というと、飛鳥時代や奈良時代の話ばかり、ときには中国南北朝隋唐をもちだすぐらいで、日本の中世の伝説や神話、偽書に満ちた世界は、無視されることが多いように思う。だから江戸時代までは常識だった聖徳太子に対するいくつかの通念・俗信が現代人には無縁になっているのではないか?と思うところがある。
冒頭にある初期浄土真宗で使われたという光明本尊は、一種の曼陀羅だ。
右下に、聖徳太子とその周囲の人が描かれるのも、親鸞上人が京都の六角堂に100日参籠し、聖徳太子の夢のお告げをえた、という故事に基づくものだろうが、普通の仏教美術の展示ではパスしてしまいそうだ。