2021年10月27日

1950年の数100ドル



松岡美術館のメイヤー瓶
https://www.matsuoka-museum.jp/collection/#pills-ceramic

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hexagonal_vase_with_paired_phoenixes_and_insects_in_grass_design,_China,_Jingdezhen_kiln,_Yuan_dynasty,_14th_century_AD,_blue_and_white_-_Matsuoka_Museum_of_Art_-_Tokyo,_Japan_-_DSC07349.JPG

繭山康彦(現 西村 康彦)氏(REf)が、アルニム侯爵ヘルマンの旧蔵品で、1950年、ドイツの小さなオークションに数百ドルででたものだ、と書いてある。これはそこで買った・あるいは米国人代理人から聴いたフレデリック・メイヤー氏の話だから確かなものだろう。

また、同じ本に、英国のガーナー卿
https://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Garner
が、1950年、外交官としてニューヨークを訪れたとき、バーニーズ(日本にも支店がある有名百貨店)で店飾に使っていた元青花魚藻文壷
https://jpsearch.go.jp/item/tfam_art_db-1524
https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1524
買おうとしたが、外貨持ち出し制限が厳しかったので  数百ドルを使うことができなかった。そして4年後にまたニューヨークを訪ねたとき購入したそうだ。

 元青花の多少キズはあっても一応の完品の値段としては、夢のような価格ではある。

 しかし、この1950年ごろの、数百ドルという金額は現在感じるよりずっと大金ではなかったか? という疑問もわく。
  まず、メイヤー瓶がオークションされた当時のドイツはベルリン、ハンブルク、ドレスデンをはじめ主要都市が空襲で廃墟になり、しかも東西ドイツに分割されていた。
  アルニム侯爵がコレクションを手放したのも、生活費を得るためではなかったか。 領地が東ドイツ側になっていたかもしれない。日本でも「タケノコ生活」という言葉が流布した時代である。
 戦勝国の外貨米ドルで払ってくれるメイヤー氏(または そのエージェント)は大切なお客様だっただろう。
 日本でもこの時代には古美術品が大きく動いている。
  そういう背景のある売買であった、ということを念頭におくと、単なる堀だしではない、ということがわかる。

一方、英国のガーナー卿の場合はどうだろうか? 外貨持ち出し制限が厳しかったので  数百ドルを使うことができなかった。
  この外貨持ち出し制限というのは、日本でも1970年代まであったと思う。そのため海外留学は、海外の奨学金がなければ事実上不可能だった。現在は日本のデフレと海外のインフレによってそういう状況がまたでている感じもある。

英国は戦勝国ではあったが、戦費のため莫大な国債を米国の富豪たちにひきうけてもらっていた。そのため、外貨ドルが不足になり、一般旅行者のみならずガーナー卿のような外交官でも私用の外貨持ち出しが制限されていたのだろう。

 ref  繭山康彦、骨董勉強ノオト、 新潮社、昭和54
posted by 山科玲児 at 08:27| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]