2021年12月11日

殷虚と帝王陵

殷虚をテーマに繭山龍泉堂が展示をやった。
それの図録解説で殷虚について松丸道雄氏が祭祀センターであり都ではないという説をいっていることが書いてあった。
当方も、陵地区であり明十三陵のようなものだと思っていた。ちなみに中国の墓地地区が華やかな地上建築に飾られていることは日本の比ではない。ところでこの明十三陵 の付属建築が貴重な建築史跡であることを思うにつけても、清朝が保護していた/少なくとも破壊はしなかったのは確かである。
 これは、明清交代期の歴史を考えると納得できる。明を滅ぼしたのは満州族ではない。 漢族の反乱軍  李自成である。
 ドルゴンを中心とする満州軍は紫禁城を焼き払った逆賊 李自成を追い出し平和を回復した正義の軍隊だというふれこみで清朝を開いたのである。当然、明朝最後の皇帝:自殺した崇禎帝の葬儀も丁重に行った。遺骸があったかどうかなど問題ではなくそうすることが政治的プロパガンタとして重要だったのである。こういう大義名分があったからこそ、雍正帝は、堂々と漢族の学者を論破できた。そして、
 明十三陵の保存が良かったのはそのせいであろう。
posted by 山科玲児 at 09:16| Comment(0) | 日記
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