2022年02月11日

秋萩帖の王羲之臨書


去年11月 東京国立博物館では秋萩帖が公開されていたようである。
https://twitter.com/TNM_PR/status/1456456236162035719

国宝-書跡典籍|秋萩帖・准南鴻烈兵略間詁[東京国立博物館]
https://wanderkokuho.com/201-00745/

この秋萩帖  いろいろ問題が多い。なかでも、末尾の王羲之臨書と裏側の准南子については、あまり研究されていなかった。当方が読んだのは
古谷稔先生の
 秋萩帖と草仮名の研究 二玄社(1996/03発売)という労作で、第1紙が粘帖装の冊の1見開きではなかったか?という推定を含め、啓発されるところが多かった。准南子を全部影印してある稀有な本でもある。

2018年に、
秋萩帖の総合的研究
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=2&products_id=100940
というものが出たそうだが、全く知らなかった。

王羲之臨書を主として裏側の准南子のことも少し書いた、「法帖からみる秋萩帖王羲之臨書の源流」 という論文を2016年ごろに書いたのだが、2015年秋に口頭発表はしたとはいえ、論文としては未発表で放り出してしまった。上記の2018年の本に少しは口頭発表事項が反映されているのだろうか?
読んでないのでわからない。

一方、土屋聡. 「秋萩帖」所収王羲之尺牘十一通について. 国立歴史民俗博物館研究報告「高松宮家伝来書籍等を中心とする漢籍読書の歴史とその本文に関する研究」. 2015. 198. 55-64
という論文で、「郷里人帖」が右軍書記にのっているという優れた指摘があったようである。これは当時、気が付かなかった。


結論だけ言うとレジメに書いたのを転記すると、以下の通りである。

秋萩帖の後半にある王羲之臨書の中で三帖が中国の法帖に収録されている。両者を比較し、関係文献を参照することによって、秋萩帖王羲之臨書の原本の形とその原本の模写本拓本の日中での伝世経路を推定する。
1.秋萩帖王羲之臨書のなかで「得丹楊書帖」と「想清和士人佳帖」は、明前期永楽十四年の東書堂集古法帖に、順序は秋萩帖と逆だが、連続して収録されている。また行立て配字も同じである。得丹楊書帖は、淳化閣帖とその翻刻の集帖にも収録されているが、東書堂集古法帖のほうが秋萩帖王羲之臨書の原本の系統をひくと考えられる。康煕十四年(一六七五年)に完成した翰香館法書は「重煕帖」を収録しているが「重煕帖」は秋萩帖本と類似性が高い。
2.三帖とも、直接の原本は古法帖拓本であり、南宋の淳熙秘閣法帖である可能性が高い。
3.宣和書譜に記録されている「高枕帖」も含め、中国に形跡を残す四帖が秋萩帖王羲之臨書末尾に連続しているから、四帖はまとまって宋時代まで伝世したと推定できる。
4.秋萩帖王羲之臨書の原本は、二巻の唐時代の模写本だと推定できる。二十二行と三十五行に分けられる。これは、正倉院献物帳と法書要録から推定できる、唐時代の宮廷周辺に、開元五年以降にあった王羲之墨跡本模写本巻子の行数と収録帖数と類似する。
5.秋萩帖王羲之臨書の紙背の淮南子は避諱がないため時代と制作場所に多くの説がある。しかし、敦煌写本にみる唐時代の道教経典における避諱適用状況から考えると、道教経典でもある淮南子に避諱がなくても唐抄本としてよい。

posted by 山科玲児 at 17:54| Comment(0) | 日記
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