イメージは、曹操の子孫の魏時代に建てられた儒教経典の石碑:三体石経の拓本のごく一部である。同じ文字を3つの書体で書いて繰り返している。
秋萩帖の裏の淮南子に関して、寛平年間に藤原佐世が著した目録
日本国見在書目録を江戸期の考証学者狩谷掖齋の注釈書(ref)で読んでいたら、あれ、と気がついた。春秋の注釈書の一覧のなかに、「三体春秋十巻」というのがあるではないか??
これは、この魏時代の石経の拓本か、それともその写しの写本に違いない。なんか三体石経というと中華民国時代に盛んに発掘されて出てきたようなイメージがあって、魏〜清までは地下にあったような印象をもっていたが、そうでもないんだな。
なお、下にテキストとしては原本孤本である宮内庁書陵部本の影印からイメージを作ってみた。
ちょっと、意外なことだが、楊守敬がかかわった 続古逸叢書の日本国見在書目録は、定本が良くないらしい。
ref. 狩谷掖齋全集第7,日本国現在書目證注稿、日本古典全集刊行会、1928