Rape of Europeの翻訳書「ヨーロッパの略奪」は、かなり偏見のある本であるが、、少し読んでみた。
1939年の展覧会のために、ブリュージュにドイツからメムリンクを貸したという話がある。ヒトラーはメムリンクにはあまり関心がなかったそうで、あっさり許可したそうである。
実は、この展覧会があったのを知らなかった。
少し調べてみると、なんとメムリンク展だった(イメージ カタログ表紙)。海外でカタログが古書として売っているようである。
「ヨーロッパの略奪」に記載している「リューベックの壮大な祭壇画」というのは、メムリンク最晩年の大きな多重祭壇画であり、ばらして輸送したのかもしれない。
これは、中央画面の細部にデューラーとその師匠ウォルゲミュートの顔がみえることでも有名な絵画である。
また、天使の合奏がある、4面、というのは何なんだろう? アントワープにあるあれなのかな。。と思ったら、著者・翻訳者の間違いだった。このときは、アントワープのものもでていたし、その縮小模写もでていたらしいので混同している。やはり隅々まで正しいことを書くのは難しいものだ。
それにしても、貸し出したのはいいとして、その後どうなったんだろう。すぐ戦争ですよ。
マドリードのラザロ・ガルディアーノにあるヒエロニムス・ボッスの「荒野の洗礼者ヨハネ」は、オランダに貸したら戦争になり、そのままオランダの倉庫にいれっぱなしだった。その間に所有者が逝去するということになり、相続人に戻ったのは8年もあとになってしまったという。