2022年06月26日

再評価

capspard david  friedrich.JPG
カスパー・ダヴィッド・フィリードリッヒの画集と絵葉書

 19世紀末ドイツで出版された2000ページもある19世紀絵画史に、フリードリッヒがでてこないという。1925年刊行のフォッションの19世紀絵画史(フランス語)にも、 インティミストとして小さく出ているだけ。 どうも カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒの評価・名声は1960年代以降 つまり再発見された画家なのである。
 そう考えるとジョルジュ・ド・ラ・トゥールもそうだし、ラ・トゥールやフリードリッヒほど忘れられていたわけではないがカラヴァッジョもそうである。
 再発見時期が1866年ごろのトレ・ビュルガーだからずっと古いがフェルメールもそうだ。
 しかし、再発見と考えるということは、1900年という時点での見方が間違っていて、2022年というこの時点の見方が正しいという考え方によるものである。2022年の評価が間違っているという可能性もあるのであり、未来の人々が「なぜ2022年のころの人々はフリードリッヒの絵画を高評価していたのだろう?」と疑問に思うというようにならないとは限らない。2022年の偏見によって眼が曇っているという可能性もあるのである。

 例えば、我々にはブーグローやグルーズにあのような名声があったことがすでによくわからなくなっている。質量ともにフランス絵画史で最大かもしれないフランス革命の画家/ナポレオンの画家であるダヴィッドの作品でさえ、歴史事件の記録や歴史書の挿絵的見方であり、芸術的な価値を評価しているとは言いがたい。

 一見揺るぎない名声を生前からずっと保っているようにみえるラファエロも、
 バーナード・ベレンソンの「ルネッサンスのイタリア画家」  はずいぶんひどい貶し方をしているように感じた。

  日本では円山応挙、鈴木き一はかなり再評価されているが、谷文ちょうの名声は地に落ちている。

posted by 山科玲児 at 11:48| Comment(0) | 日記
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