どうも、当方とカラブリアのイタリア人Tania De Nileとが似たようなことを考えていたようである。シンクロニティを感じますね。
2016年09月04日
ボス展のカタログを読む その9 木材の話
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/176742543.html
でルカス・クラーナハ(父)がヒエロニムス・ボスの最後の審判をどこで模写したのか??
という問題を論じたが、似たような問題意識をもって、更に奥へ研究した人がいるようだ。
こういう問題は、どうしても推測が多くなるので、この論文もかなり推測が多いものになっているけれど、可能性としては、納得できる。
A new provenance study: the Vienna Last Judgement in 17th century inventories
Jheronymus Bosch. His life and his work. Atti del 4° convegno internazionale su Jheronymus Bosch, ('s-Hertogenobosch, JB Art Center 14-16 aprile 2016), 's-Hertogenbosch 2016, pp. 70-88., 2016
Tania De Nile
https://www.academia.edu/30852508/A_new_provenance_study_the_Vienna_Last_Judgement_in_17th_century_inventories
Tania De Nileの推測では、この絵画はかなり早くドイツ圏へ入ってルドルフ2世のコレクションに入っていた。その過程でクラーナハが模写する機会があった。その後三〇年戦争の略奪でスウェーデン軍にとられストックホルムへ。しかし、スウェーデン女王クリスティーナは 北方ルネサンス絵画は好まなかった。あのデューラーの傑作アダムとイブ(プラド美術館)でさえ惜しげも無くスペイン王フェリペ4世へプレゼントしているくらいである。クリスティーナは退位後大陸にいたっとき、多量の北方ルネサンス絵画を売却したりイタリア絵画に交換したりしたようである。おそらくブリュッセルで処分したとき、当時のネーデルラント総督でコレクターのレオポルドの手に渡ったのだろう。。。という推理である。